2013年9月22日日曜日

中央研究院社会学研究所の日々(2) 旅立ち篇


このブログで「社会学研究所の日々(1)地理・環境篇」という記事を書いたのは,台湾到着直後の昨年4月のこと。「研究所のなかみを紹介する続編を書こう」と思いながら,あっという間に1年半の任期が過ぎてしまった。今月末にはもう台北を離任せねばならない。

台北を立ち去りがたい気持ちにとらわれるのが怖くて,この2ヶ月ほどは,毎日のように,友人・お世話になった方との会食やインタビューの予定を入れ,忙しく過ごしてきた。中秋節の4連休を利用して,引っ越しの準備を始めてみたけれど,様々な思いが胸にこみあげてきて,荷造りをする手がついとまってしまう。今はまず,台北でお世話になった全ての友人たちに,心からの感謝の気持ちを伝えたい。


中央研究院活動中心。短期滞在者のなかにはここに泊る人も多い。
社会学者ではない私を1年半という長期にわたって温かく迎え入れてくれた社会学研究所の方々には,とりわけ深く感謝している。なかでも,カウンターパートを引き受けてくれた古くからの友人L・Cさんは,私に多くの新しい出会いと刺激をもたらしてくれた。

私を経済社会学の世界に導いてくれたのも,私の初めての単著の「新書発表会」を企画してくれたのも,私の新しいテーマへの挑戦について最初に話を聞き,背中を押してくれたのも,みんなLさんだ。彼のおかげで,迪化街の素敵なよそ者,若者,バカ者たちにも出会うことができた。

そして彼はなんと今,迪化街で,家族と一緒に「JFK絵本屋」という素敵なお店を立ち上げようとしている。「絵本」の世界を研究対象の1つとしてきた彼が,絵本を届ける人になる瞬間。経済社会学者が創業者へと生まれ変わる瞬間。台北滞在最後の月に,彼の人生の新しいステップともなるそんな瞬間に立ち会えたことはとても幸運なことだ。

拙著の新書発表会がきっかけとなって,研究所の人たちに「社会学者ではないけれど,台湾の産業社会の発展を貫く社会・経済的な力に関心を持っている人らしい」と認知してもらえたことも,後から思うと,新たな研究仲間や友人,理解者との出会いにつながる幸運なきっかけだった。

社会学研究所のある人文社会科学館
社会学研究所で出会った短期訪問者たちとの交流からも多くの刺激を受けた。社会学研究所に来る訪問者のほとんどは,夏休み前後に2~3ヶ月の予定で来台する短期滞在者だ。1年半も滞在している私は,すっかり「お局様」となってしまい,多くの研究者がここに集い,去っていくのを見とどけることになった。

訪問研究者は3つのカテゴリーに分けられる。第1のカテゴリーは,アメリカで博士号をとり,引き続きアメリカで研究者としてのキャリアを追求している台湾人研究者たち。昨夏,オフィスをシェアしたL教授や,ポスドクのWさんたちがこのパターン。台湾を分析対象とし,中国語の論文を読み込んで,英語論文を発表する彼女,彼らと話していると,不十分な中国語で台湾のことを調べ,主に日本語で成果を発表する自分の研究者としての立ち位置についてあれこれ考えさせられた。Lさん,Wさんはともに二人の子の母親。遠い異国・アメリカの地で,研究者としての厳しいキャリアと家庭生活を両立する彼女たちの話からは,多くの刺激を受けた。

訪問研究者の第2のカテゴリーは,台湾や中国を研究対象とする非・華人系研究者。この1年のあいだに,アメリカ,オーストラリア,ドイツ,フランスから来た台湾研究者たちと交流する機会を得た。アメリカ人やドイツ人と中国語で台湾研究について話をするのは楽しい経験だった。彼ら,彼女らの多くは,台湾だけではなく中国,日本を含む東アジアを研究対象とし,日本についても実によく知っている。3.11後の原発政策のこと,日本で高まる排外的なナショナリズムの背景等について彼らと話すたび,日本についての新しい発見があった。

第3のグループは,サバティカルをとって,社会学研究所に籍をおいている台湾の大学の教員たち。その一人で,台湾STS学会の理事長でもある台湾大学のWさんは,人と人をつなぐ名人。私に台湾STS学会でのパネル報告というチャレンジングな機会を与えてくれてたのは彼女だ。彼女が企画し,誘ってくれたランチでは,専門の違う人同士で話がはずみ,いくつもの新しい出会いがあった。

社会学研究所で出会った人たちに共通していたのが,他人の研究への開かれた関心だった。社会学の世界では,経済学のように,主流(*簡単にいえば,アメリカの経済学界を中心とする強固な科学主義と,ランク化された英文ジャーナルによって制度化された世界)と非主流(*「それ以外」)が判然と分かれているわけではない。方法論や流行の共有度もさほど高くはない。

だから,お互いに言葉が通じ合うかどうかを確かめるには,「どんな研究をしているのか」を自己紹介しあい,雑談を重ねていくなかで,互いの関心や価値観を探り合うプロセスが必要になる。そして,手法が違えど,相手の研究について踏み込んだコメントや感想を述べ合ってみることで,少しずつ距離を狭めていくプロセスがこれに続く。意気投合する相手もあれば,淡々とした付き合いで終わる相手もあるけれど,経済学の世界でありがちな「コッチ側の人,アッチ側の人」という区分けや,内輪のジャーゴンでの閉じた会話の世界とは違って,「私の専門とあなたの専門は随分違うけれど,あなたの研究の話を聞かせてほしい」という姿勢を持ちつづけている人が多かった。

それが,社会学の気風によるものなのか,台湾という場の特質なのか,あるいは短期滞在者どうしであることによって発生する一種の高揚感によるものであるのかは,分からない。おそらくその3つが入り交じって,ここにつかのま集う者のあいだに不思議な連帯感を生むのだろう。

昨年3月末,台北にたどりついた時の私は,初めての単著の執筆に持てるわずかなエネルギーを投入しつくし,年度末の仕事と引っ越しで疲労困憊した,出がらし状態だった。そして,1年半を経た今・・・・肝心の研究の進捗状況ははなはだ心許ないものだったけれども,多くの人との出会いによって,自分のなかにわずかなら,新しいエネルギーが生まれたことを感じている。

私がここで出会った人々がそうであったように,私も,私の研究,私が書きたい本について生き生きと語れる研究者でありたいと願う。

キャンパスの一角にて。林の本来の生態を復元中。




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