2013年2月27日水曜日

「映画の神様,ありがとう」

おとといの昼,友人からfacebookメッセージが届いた。「アン・リーがアカデミー賞最優秀監督賞をとった!」

やったあ~!! 私も朝から,落ち着かない気分だったのだ。アカデミー賞なんて,しょせんはアメリカのお祭り騒ぎ。 "Life of Pi(邦題「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」)」が世界中でこれほど多くの観客を魅了していることに比べたら,賞の行方なんてとるに足らないこと。そう思う一方で,アン・リー監督(李安,Ang Lee)が受賞したら台湾の人たちがどんなに喜ぶかと思うと,「オスカーを彼の手に」と願わずにはいられなかった。そして実際,この日の台湾は歓喜に包まれた1日となった。

日中から夜にかけては,facebookを通じて,友人や台湾の多くの見知らぬ人たちが,「李監督の受賞に,涙が止まらなかった」「李安監督という人を私たちに与えて下さってありがとう」と書いているのを目にした。多くの人が「私たちのアン・リー監督」という表現を使っていることにも感銘を受けた。アン・リーはよく「台湾之光 The light of Taiwan」と形容されるが,金色に輝くオスカーを手にした彼の笑顔は,たしかに台湾を照らし出す春の日射しのようだった。


授賞式でスピーチするリー監督(screencrush.comより)

あいさつを終えたリー監督

どの社会にも,政治的な立場や価値観の違いをこえて,国民から広く敬愛されるスターが現われるものだ。最近の日本でいえば,高橋尚子,浅田真央,松井秀喜といったスポーツ選手たちが,「日本の光」というべき存在だろう。彼/彼女らの姿が人々を惹きつけるのは,その栄光が,挫折と挑戦の繰り返しのうえに獲得されたものだからだ。リー・アンもまた,台湾の人々にとってそのような存在だと思う。

 台湾の人々が彼を尊敬するのは,アカデミー監督賞の受賞(「ブロークバック・マウンテン」「ライフ・オブ・パイ」)やベルリン映画祭の金熊賞(「ウェディング・バンケット」「いつか晴れた日に」),ヴェネツィア映画祭の金獅子賞(「ブロークバック・マウンテン」「」ラスト・コーション)の受賞といった輝かしい経歴のためだけではない。

父親の反対をおしきって映画を学ぶために渡米したものの,30歳になっても映画の仕事が見つからず,夫人が生計をたてていたこと。その夫人が,心配した実家の親が夫にレストランを開業させようと用意した資金支援を断り,映画の道を諦めかけた夫を励まし続けたこと。厳格な教育者だった父親との摩擦と劣等感,負い目(*ライフ・オブ・パイのなかで,沈んでゆく船に向かってパイが叫ぶ "I'm sorry" という絶叫や"the whole of life becomes an act of letting go, but what always hurts the most is not taking a moment to say goodbye"といった台詞には,監督の父への思いが重ねられているという)。そして,失敗作におわった「ハルク」のあと,監督業からの引退を考えて父に相談したところ,おもいがけず,父から「鉄かぶとをかぶって前へ突き進め!」と励まされ,長らく心中にあった「ブロークバック・マウンテン」を撮影することになったこと。そんな紆余曲折にみちた道のりを経て,世界的な成功をおさめた今でも,アン・リー監督は,謙虚さと誠実さを少しも失わない。


楽しくも深い大人のファンタジー映画 ,Life of Pi

リー・アン監督の台湾への変わらぬ愛情も,世界での孤立を強いられている台湾の人々にとって大きな励ましになっていると思う。受賞作の「ライフ・オブ・パイ」も,洋上のシーンからインドの動物園や神秘の島のシーンにいたるまで,ほとんどが台湾で撮影されたものだ。そのため,台湾ではこの映画をMade in Taiwanの作品だと誇りに思っている人が多い。

リー監督は外省人二世で,初期の作品では外省人の家庭を多く描いた。しかし,長年アメリカで活躍しているのに米国籍をとろうとせず,「台湾で撮影できるのか」という反対をおしきって,巨額の投資プロジェクトでもあったこの作品を台湾で撮る決断をした彼に対して,「アン・リーは外省人の子弟だから,台湾語を母語としないから,台湾人ではない」という人はいないだろう。親の出身地にかかわらず,台湾を愛し,ここをふるさとと思う人は台湾人であるということを象徴的に示す存在だ。


けれども,アン・リーが台湾の人々に愛されつづける最大の理由は,なんといっても彼の作品が,映画をみる喜びを存分に味わわせてくれる名作ぞろいであることに尽きるだろう。アン・リーは世界最強のストーリーテラー。深みがありながら親しみやすい上質な娯楽作品を次々と生み出してきた才能と努力には,舌を巻くほかない。しかも彼は,成功に安住せず,家族・恋愛コメディから文芸歴史作品,ファンタジーまで,新しいテーマと作風に挑み続ける果敢な表現者なのだ。

その中からあえて私のベスト・スリーを選ぶなら,「恋人たちの食卓(飲食男女,1994)」「ある晴れた日に(Sense and Sensibility 1995)」「ライフ・オブ・パイ(2012)」だろうか。「推手」「ウエディングバンケット(喜宴)」も捨てがたいし,「ラスト,コーション(色,戒)」も忘れがたいのだけれど・・・。

アン・リーの作品には常に,ユーモアのセンスが溢れている,同時に彼は,狂おしい衝動や感情の爆発といった人間存在の激しさ,危うさも繰り返し描いている。「ラスト,コーション」のクライマックスで命の危険を察知したイーが脱兎のごとく逃げ去るシーンや,「恋人たちの食卓」のまじめ一本槍の長女が突然「発情」してしまう場面には,人間の滑稽さへの皮肉まじりの視線と愛情が感じられる。

実は私は一度だけ,アン・リー監督をみかけたことがある。10年近く前にマカオに旅行に行ったとき,肩から「台南一中」(*李監督の出身高校)と大きく書かれた布鞄を下げている男性がいたので,「あ,台湾人だ」と思いながら顔をみたら,なんとアン・リー監督だったのだ。つれあいと私がびっくりして,思わず「あ,アン・リー監督!」と言いながらお辞儀をしたら,監督もあの穏やかな笑顔でぺこりと頭を下げて下さった。ただそれだけの出会いだったけれども,思い出すたびに温かな気持ちになる記憶だ。

オスカーを手にしたアン・リー監督は,開口一番, ”Thank you, movie god!”と天に向かって呼びかけた。私たちもまた,こんなすてきな映画の魔法使いをこの世の中に,そして台湾につかわしてくださった映画の神さまに感謝しなくてはならない。



facebook "少年Pi"ファンページより。

今ちょっと話題の一枚,
オスカーを手にハンバーガーを食べる李監督。




2013年2月18日月曜日

分析すること,されること

中央研究院社会学研究所では,月に1-2度,「金曜セミナー(周五論壇)」という研究会が開かれる。研究所内外の研究者が最新の研究成果を報告する場で,社会学研究所のウェブサイトのほか,複数の学会のHPでも告知されるため,大学の教員や大学院生も参加する。私はこのセミナーをいつも楽しみにしている。

報告を聞くのも楽しいが,その後の質疑応答がおもしろい。台湾の学者は質問の名手ぞろい。彼・彼女らのコメントや質問を聞いているだけで,その報告のどこが脆弱なのか,視点を変えたり材料を足したりすると何が見えてきそうなのかが浮かび上がってくる。質問下手な私にとってはまたとない学びの場だ。


中央研究院(数理大道側入り口より)


フランス人の社会学者Paul さんの報告を聞いたのも,金曜セミナーでのことだった。日本の水俣病と,台湾の二つの公害事件の集団訴訟のプロセスを比較したもので,訴訟の過程での被害者の内的体験,加害者と被害者の相互作用,訴訟への被害者の参与に焦点をあてた興味深い報告だった。

研究報告を聞いて「興味深い」と感じ,好奇心をそそられるのは,自分が話し手と同じく「分析する」側から対象を見ているからである。ところが,質疑応答のあいだに,自分がいつの間にか「分析される」側に立っている-というよりも,分析される側に立たされていると感じていることに気がついた。

そのきっかけは,日本人の歴史的な「国(おかみ)」観が天皇制の歴史と深く結びついているというポールさんの指摘である。これに,聴衆が「フムフム」という表情で聞き入っている。その様子をみたとたん「あれ,マズくないか?」「私,日本人として反論すべきではないのか?」という感情が生まれ,セミナー室に座っている自分が,聞き手の視点から,分析される側にすーっと移動したようにかんじた。

ポールさんの発言を聞いた瞬間,私の心の中では「まじ?」→「出た」→「まてまて,『出た』なんて思ってはいけない」という声が順繰りに響いた。

まず,反射的に湧いてきた感情は「まじ?」という違和感である。台湾と比べたときに,日本の人々と国家機構・官僚の関係が垂直的であり,前者にとっての後者の威信が高いことは,事実だろう。しかしそれを,「天皇制」といきなり結びつけるのは,ちょっと乱暴に過ぎないか? 強固に統合されたスーパー国民国家・日本における「国」と人々の関係は,明治以来の中央集権的な国家機構の形成過程や,司法システム・官僚システムの(曲がりなりの)機能性やそれがある時期まで獲得してきた信認,中央のパワーエリートと地方(特に,水俣のような小さな漁村)に生きる人々のあいだの社会的な資源の格差といった様々な要素が絡み合ってできあがっているものだと思う。むろん,明治以来の国家形成が天皇制と強く結びついてきた点で,日本を理解するひとつの鍵が天皇制にあるという認識は妥当だと思う。ただ,現代日本の社会に生きる一個人の直感として,日本人の「国」「政府」に対する姿勢を天皇制と直接的に結びつける視点は,あまりに安易であるように思われ,強い違和感を感じる。

ここから即座に浮かんできた第二の感想が,「出た」というものである。「天皇制という要因を持ってくれば西洋の研究者には分かりやすいし面白いんだろうな」「日本はやはり特殊な社会に見えるんだろうな」という感想である。

だが,この「まじ?」→「出た」という脊髄反射的感想が,外国人研究者による日本分析への私の偏見を反映したものであることもまた事実である。そして,私自身が外国研究をなりわいとする身でありながら,外国人による日本分析に対して即座に「出た」という感情を抱いてしまったことを,私は恥じずにはいられない。

ポールさんの観察は彼のフィールドでの経験を基礎としているものだ。水俣病の患者さんたちと直接話したことがない私が,ただ「私も日本人である」というだけで,彼の観察に反論できるわけではない。

それに,「私を含む多くの日本人がそうである(そうではない)」という反論じたい,意味をなすものではない。研究する者は常に,分析対象のもつ多様性と向き合うことからスタートしなければならない。しかし,研究がある段階にいたれば,(モノグラフの執筆を別として)必ず,分析対象をひとくくりにしてそれについて語ることが求められる。だからこそ,分析対象の範囲の決定という問題が重要になる。その時に,分析対象を理解する鍵となる要因やロジックが,100個の観察値や回答数の平均値のなかに見いだされるとは限らない。時に,その鍵は,100の回答のなかの1個か2個の回答のなかに,現われるものだ。そこから導かれた説明のロジックは,「私はそうは思わない」という大多数の分析対象者に強烈な違和感をもたらすものとなる。

私がポールさんの日本社会への認識を「正しくない」と批判するなら,それは,「日本人である私が違和感を感じるから」という理由によるものであってはならない。彼がフィールドで見たもの,聞いたもののなかから,分析上の「鍵」を抽出するうえでとった手順の妥当性や,彼の直観がどれほど豊富なフィールド体験に裏付けられたものであるのか,ステレオタイプ的な日本認識への批判を経たものであるかを問いかけることからはじめねばならない。また,日本人の国家観を天皇制と絡める視点が,結果的に検証不可能な(あるいは検証を拒否する)テーゼとなってしまっている可能性-私にはそう思われるのだ-を批判的に検討しなければならない。そのためには,おそらく,「検証可能性」とは何か,という議論から始めなければならないだろう。

しかし悲しいかな,私の語学力では,そんな問題を提起することなど到底できないーー。たとえ途中で立往生しても,思いきって発言をする度胸だけでも持たないと,在外研究に来させてもらっている意味がないんだぞ,と自分に言い聞かせながら,スゴスゴとセミナー室を後にしたのであった。


裏の小山からキャンパスを見下ろす