2014年1月13日月曜日

台湾とサンドバーグに学ぶ「一歩,前へ」

在外研究に出る前と今の自分を比べると,私は以前よりもgender sensitiveになったように思う。そのきっかけは台湾での経験にあるのだ,と,『LEAN IN:女性,仕事,リーダーへの意欲』(シェリル・サンドバーグ著,村井章子訳,日本経済新聞社,2013年)を読みながら思った。

著者のサンドバーグはFecebookのCOO。

台湾では,弁護士・医師といったライセンス型専門職はもちろん,政治家や役人,大学教員に占める女性の比率も相対的に高い。企業は男社会だが,ハイテク企業でも財務・人事畑出身の女性役員は珍しくないし,日本では男の世界とされる営業部門でも,女性が活躍している。

そんな台湾で感じたのが,「同じ場に同性がたくさんいるということは,女性一人一人を自由にし,勇気づけ,発憤させてくれるものだなぁ」ということだった。マイノリティがマイノリティでなくなる(=数が十分にいる)ということは,当事者の意識や行動を変え,その能力を発揮させる効果を持つものなのだ。

第1に,会合の場に女性が増え,「女性である」ことが支配的属性となる状況から解放されると,分からないことを聞く,不満や異なる意見を表明する,といった場面で,プレッシャーから解き放たれ,自分の考えをより自然に,積極的に主張できる。

私は,仕事上の初対面の集まりで「紅一,二点」下に置かれると,緊張する。愚かな質問をすると,「Kさんは外しているな」では済まず,「女性は人の話が聞けないな」と思われてしまうのではないか,というプレッシャーを感じる。不満を表明する時も「女は感情的だ」と思われるのはイヤだ,でも御しやすいと思われるのもシャクだ,というジレンマに陥って,妙にぎこちなくなることがある。自分の言動が「女性」というラベルと結びつけられるのではないかと不安で,緊張してしまうのだ。

私を知る男性からは「あなたがそんなに繊細だったとは知らなかった」という声が聞えてきそうだし,私も日本にいる時は,そんなプレッシャーを意識したことはなかった。でも,荷物を背中から下ろしてはじめてその重さに気づくように,台湾やアメリカで,自分の支配的属性が「女性」から「外国人」になる状況に身を置いて,「ああ,このほうがだいぶ楽だ」と気がついた。

第2に,集団内での女性の数が増えると,女性どうしの関係がぐっと楽になる。当たり前のことだが,「紅二,三点」の女同士が常に仲良くなれるとは限らない。けれども男性から注目されている状況下で女同士が対立すると,厄介なことになる。少数者どうしであることによって,女どうしの関係が難しくなってしまうことがあるのだ。

第3に,上の世代・職階に同性のロールモデルがいることの心理的な効果は絶大だ。私が通った大学の経済学部には,女性の教員は一人もいなかった。後から思うと,そのことは,私の進路選択に一定の影響を及ぼしたと思う。他方,台湾大学の社会学部には多数の女性教授がいるし,台湾社会学会,台湾STS学会の現在の会長はいずれも女性だ。そのことが取り立てて話題にもならないことに,「ああ,これは女子学生に励みになるなぁ」と感じた。


2012年の総統選挙を戦った民進党・蔡英文氏(Taiwanus.netより)。偉人の娘でも妻でもなく,実力と人柄で高い人気を誇る政治家だ。

それにしても,サンドバーグが指摘しているように,女性が職場でジェンダーを語ることのなんと難しいことか。「弱音を吐いているように見えるのではないか」「特別待遇を要求していると思われるのではないか」・・・・(pp.202-203)。女性がジェンダーを話題にする時には,まずこんな不安を乗り越えなければならない。

さらに厄介なことに,女性が思いきってジェンダーを語っても,男も女もそれを歓迎しない-ーいやむしろ嫌われてしまう可能性が高い。そして,嫌われることのペナルティは,少数者である女性にとって男性よりずっと重い。男性から「被害者意識の強いやっかいな人」扱いされるリスクを冒すより,きちんとした仕事をすることで周りから評価されるよう頑張ろう,と思うのは自然の成り行きだ。(*ちなみに,女性が「良い仕事をしていれば誰かが気づいて冠をかぶせてくれると期待する」ことは「ティアラ・シンドローム」と呼ばれるそうだが,そういうことは現実の社会ではめったに起きないそうだ(p.90)・・・・トホホ)

私自身,「研究者の世界は,実力社会だ」「女だから軽くあしらわれたと思うなんて,自分の実力の低さの言い訳だ」と思ってきた。私がジェンダーの問題を語るなんておこがましいとか,紅一点の会合で緊張するなんて言うのはみっともないとか,日本のなかでは十分に恵まれた職場環境にあるのに,女性であることの困難を語って,男性を非難していると思われるのじゃないかとか,様々な思いが邪魔をして,ジェンダーの問題について文章を書こうと思ったことはなかった。

けれども,文系研究者という私の職業は確かに性差による制約が相対的に小さいものだが,その職業にあってすら,私が「女性研究者」というカテゴリーから自由だったことは一日もない。

Facebookの標語"怖がらなければ何をする?"という言葉をサンドバーグは女性に贈る。
 


私は,外からみれば,十分に図々しく前のめりに見えるかもしれないが,サンドバーグが指摘する「女性の内なる障壁」「自分の内のネガティブな声」は,私のなかにも間違いなくある。「女がむやみに積極的なのは見苦しい」「野心的だと思われたら嫌われる」「力量以上のことを引き受けて失敗したら,周りの女性の評価が下がるかもしれない」といった恐れの感情だ。サンドバーグは,そういう小さな恐れの感情の積み重ねが,女性の職業上の成長を制約することを指摘する。

台湾やアメリカで知ったのは,社会・組織の重要な場面でリーダーシップをとる女性が増え,職場の様々な場面での男女比が均衡することで,女性一人一人が内側に抱えるそういう恐れの感情が,少しずつ和らぎうるということだ。そして,「女性であること」が仕事の上での意識や行動に与える影響を自分の問題として語る女性が増えれば,ジェンダーの問題はもっと語りやすくなるということだ。

日本から遠く離れた地で,サンドバーグの本の思いがけない思慮深さと暖かさに感銘を受けた今。今,このことについて書かなければ,私がこの問題について書くことはきっともうないだろう。そんな気持ちになり,私なりの「一歩,前へ(Lean in)」の思いを込めて,この文章を書いてみた。