2013年8月4日日曜日

カメラと『キメラ』と行く旧・満州の旅

7月末に,ハルビン・長春へ一人で旅行してきた。

1日目(7/24 木)はエバー航空の直行便で台北からハルビンへ。ホテルに荷物をおいてすぐに,ハルビン市建築芸術館分館(旧ユダヤ新教シナゴーグ)に行き,20世紀前半のハルビンで栄えたユダヤ人コミュニティについての展示を見学。夕方からは,市内随一の繁華街・中央大街(旧キタイスカヤ)を散歩し,ロシア料理の夕食を食べた。2日目は午前の高速鉄道で長春へ。午後,1932-45年にかけて溥儀が満洲国皇帝として住んだ仮宮殿跡(「偽満皇宮博物院」)を見学。3日目は午前中,長春市内の旧・満州の建物めぐりをし,昼過ぎの高速鉄道でハルビンへ。旧東清鉄道職員住宅が残る西大直街の南側エリアを散歩し,夜は中央大街周辺を散策。夕食は昨日に続き,餃子屋さん。本場の水餃はおいしかった。4日目は午前に731部隊跡を見学し,午後のフライトで台北に戻った。

東北地方は,上海・広東とは別の世界だった。ホテルやレストランでの「没有(ないよ)」「不知道(知らないよ)」攻勢は想定内だったが,困ったのがタクシー事情の悪さだ。特に1日目は,空車がまるでつかまらなくて,途方にくれた。ようやく捉まえたタクシーでも,ボラれてしまった。

もっとも,2日目午後に,「ここではタクシーは相乗りするものなのだ」ということに気づいて,楽になった。先客が乗っている車でも,行き先が順路ならば乗せてもらえるのだ。相乗りには,遠回りになるというデメリットと引き替えに,ボラれないというメリットがあって有り難い。

ハルビン・長春は,歴史散歩のしがいのある街だった。特に,映画『ラストエンペラー』(ベルトルッチ監督,1987年)を見て以来,いつか行きたいと思っていた満洲国の首都・長春はみごたえがあった。

溥儀が住んでいた仮宮殿では,溥儀たちの生活・執務スペースがよく保存されており,たいへん興味深かった。関東軍参謀だった吉岡安直(溥儀の御用掛)の執務室があったりするのが生々しいが,『ラストエンペラー』『流転の王妃の昭和史』(愛信覚羅浩,1992年)とのかかわりから興味深いのは,やはり溥儀と皇后・側室たちが暮らした緝熙楼だ。部屋のしつらえやスペースの割り当てからも,婉容皇后の孤独な生活,溥儀の寵愛を受けた側室の満たされた生活の様子など,溥儀と妻たちの数奇な運命が伝わってくる。

旧宮殿への入り口には「九一八を忘るるなかれ」との江沢民の大きな揮毫が。

婉容皇后のアヘン吸引室。


「建築とはかくも雄弁なものよ」と唸らされたのが,新民街に沿って整然と並ぶ旧・満洲国中枢部の建物群だ。威圧感や和洋中の折衷ぶりは,建物によって異なるのだけれども,とにかく日本の,いや関東軍の異様な鼻息の荒さが視覚を通じて伝わってきて,驚いた。写真ではあまり伝えられないが,とにかく「でかい!」という印象。これに比べれば,帝国初の植民地・台湾で日本が建てた建築の数々は,落ち着いたたたずまいであったのだなぁ。

旧・満洲国司法部跡(現在は吉林大学医学部)

旧・満洲国国務院跡(現在は吉林大学医学部)



なんですか,これは!すごすぎる・・・旧関東軍司令部(現在は中国共産党吉林省委員会)

さて,一人旅の道連れは,愛用機リコーCX6。ところが,3日目の午後,このカメラが突然壊れてしまった。レンズが怪しい開閉運動を繰り返したあげく,勝手に閉じてしまうのだ。うーん,困った。

ハルビンでは,目玉の中央通から外れたたあたりに,戦前期からの古い建物がたくさん残っていた。ようし撮るぞ!と張り切った直後に突然逝ってしまったカメラのことが,恨めしくてならない(涙&怒)。

ハルビンの旧・東清鉄道幹部職員住宅。
けれども,もうひとつの旅の道連れ,山室信一『キメラ-満洲国の肖像 増補版』(中公新書,2004年)は,旅の最後まで私を助けてくれた。

今回の旅で,私は初めて中国の「愛国教育」の現場に足を運んだ。「偽満皇宮博物院」併設の「東北淪陥史陳列館」が,典型的な愛国主義教育施設だったのだ(この「博物院」の性格規定については長春市政府のサイト参照)。

展示を見終えて,建物の前の階段に座って,考えた。

428頁,参考文献だけで23頁の増補版。二つの後書きも素敵です。
日本の侵略がいかに多くの中国の人々を残酷な運命においやったか。そのことを中国人が語り継いでいくのは当然のことであるし,日本人も深く学ばねばならない事実である。私もこの展示をみて初めて知ったことも多く,その凄惨さに胸がふさがった。

しかし,この陳列をみて感じたのは,日本を徹頭徹尾,「侵略への欲望に燃えあがった残虐者集団」として-つまり理解不能な変態集団として-描くこのような展示手法は,日本の中国侵略のあやまちを考えるうえでも,決して有益でないだろう,ということだ。

『キメラ』は,優れた歴史の書物の常で,その時代に生きた人々の世界認識に内側から光をあてる。当時の日本が誤った道に突き進んでいった主観的要因と外在的要素を丁寧に掘り下げていくことは,決して,満洲国の暴力性,欺瞞性を正当化するための作業ではない。むしろ,どのような情勢認識と行動の相互作用,軍部・政治指導者の利害と国民の感情の相互作用が,あの時代の日本を中国侵略へと駆り立てていったのかを知るための最も重要な作業なのだ。

日本が,異常な侵略の欲望に燃えた変態ファシスト集団だったと決めつけてしまえば,ある意味,話は分かりやすい。もうそれで話は決まりだ。しかしそれは,あの悲惨きわまる歴史を二度と繰り返さないための知恵の蓄積には役立たないだろう。

15年ぶりに読んだ『キメラ』は,怪獣キメラと同じように,異なる生命体が接合されたような不思議な生命力をもつ本だった。前半ではアカデミックで禁欲的な筆致で,満洲国の歴史が語られていく。後半(特に終章)になると一転,筆者は,悲愴な感情に突き動かされるかのように,満洲国を通じて日本が中国の人々に強いた苦痛を描きだす。

目を背けたくなる歴史,国と区のあいだで激しい感情対立をよぶ歴史と向かい合うのはおそろしく骨が折れる作業だ。それでも,歴史の複雑さと向き合うことからしか何も始まらない。この本にみる山室氏の「キメラ的」な知性のあり方-国家の暴力にふみにじられた人々の苦痛への想像力と,多面的,実証的な研究姿勢をかねそなえた姿勢-は,そのために学問にできることを見事に指し示している。

2 件のコメント:

  1. さすがに、よく勉強してから行かれてますね。同じものを見てもとらえ方、見方が違うのに感服!次回もう一度行きたくなりました。キメラ買ってみます。
    S.T

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    1. S.T.さま,
      コメントありがとうございます。満洲国の歴史や背景はとても複雑で,本を読んでもなかなか頭に入りませんでしたが,現地を旅しながらこの本を読み直してみたら,私なりのイメージが掴めました。それにしても,長春の旧満洲国官庁街のあの偉容には圧倒されました。思いきって行ってみてとてもよかったです。

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