2012年11月28日水曜日

「台湾国際ドキュメンタリー映画祭」の二本の日本映画 その2

11月は,調査のために日本に戻ったり,親しい先輩たちが台北に遊びに来てくれたので一緒に街歩きをしたり,台湾社会学会年次大会のために日帰りで台中に二往復したりするうちに,あっという間に過ぎてしまった。


11月に入って雨の日が増えた。陰鬱な台北の冬も近い。
 
気がついたら,台湾国際ドキュメンタリー映画祭で「311」(共同監督:森達也,綿井健陽,松林要樹,安岡卓治,2011年)を見てから一月近くが経っている。「いまさら感想をブログに書いても仕方がない。関心のありそうな人に勧めるだけにしよう」と思っていたのだが,一月近くが経っても,あの映画の記憶は驚くほど鮮明に脳裏に焼き付いている。「石巻市立湊小学校避難所」の悲しくも穏やかな余韻が時間とともに次第に薄れていくのに対して,口のなかに無理やり砂粒を押し込まれたような「311」のざらざらとした感触は,この一月の様々なできごとにもかかわらず,まるで失われないのだ。


映画「311」より(Movie Collectionから)。

「311」は,東日本大震災の惨状に衝撃を受けて,「とにかく被災地へ行ってみることにした」4人のドキュメンタリスト(森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治)たちの物語だ。彼らは,放射能に汚染された福島第一原発周辺から,想像を絶する津波の被害を受けた陸前高田,そして石巻へと向かって走って車を走らせていく。ビデオカメラは被災地の惨状を記録していくのだが,そのなかで次第に焦点が当てられていくのが,カメラを手にした撮り手たち自身の姿である。

そう,この作品は,311という未曾有の災害を前にしたジャーナリストたちのセルフドキュメンタリーであり,ロードムービーなのである。被災地入りを前に,旅館でたばことお酒を手にハイになっている姿。放射能におののき,福島のホームセンターで間に合わせの防護用品を探し求める姿。そして後半部では,「絵」になる現場を求めてハイエナのように被災地を歩き回る自らの姿が,森達也に焦点をあてて描きだされていく。

日本のセルフドキュメンタリーの多くがそうであるように,この映画もまた,自虐的かつ自己愛的である。なかでも,「カメラを持った我々」の象徴としての森達也が,被災した人々との出会いのなかでさらすぶざまな姿は強烈だ。「A」「」A2」といった先鋭的な作品と,傑出した文章力で,日本のドキュメンタリー映画の理論と実践に新しいページを切り開いきてきた奇才が,子どもの遺体を探し続ける大川小学校の遺族たちがつぶやく「誰に憤りをぶつけていいのかわからない」という言葉に対して,「その憤りをぼくにぶつけてください」という空虚な言葉しか発することができない。森たちが遺体にカメラを向けたことに激怒した被災地の人々から角材を投げつけられ,もみ合いになるなかで,「僕たちだって苦しい思いをしながら撮っているんだ」「ヘラヘラしながら撮っているわけじゃない」(←いずれも正確な言葉ではない)とムキになって言い返す。思わず目を覆いたくなるものがある。

映画「311」より(Movie Collectionから)

けれども,「この作品は見るに値する作品か?」と聞かれたら,私はためらうことなく「イエス」と答える。

撮り手たちの姿がレンズともなり反射板ともなって,この映画からは,大震災の姿が強烈な衝撃を伴って伝わってくる。言葉が空回りするほかない津波の被害のすさまじさ,遺された人々の無念さ,放射能への恐怖がビリビリと伝わってきて,スクリーンから目をそらすことができない。何より,森達也の発する言葉の空虚さが,被災した人々の語る言葉の重みと誠実さを照らし出す。

この映画ははまた,撮ることの加害性,そうして記録されたものを見ることの暴力性をいやおうなく思い知らせるものだ。

森達也がやったように,自分の家族の遺体にカメラを向けるメディアがいたら,私も迷わず角材をなげつけるだろう。スクリーンに映し出された遺体が私の家族だったら,私はこの映画を見に来たすべての人を許せないと思うだろう。けれども,今この時点の私は,大震災で家族や大切な人を失った当事者ではない。遠く離れた台中の映画館という安全地帯から,この映画を見ている観客だ。そしてその立ち位置にある私の目には,被災した人に角材を投げつけさせたこの場面抜きに,この映画が成り立たないことは明らかであると思われる。暴力的なカメラがあってはじめて,私たちが知ることのできる現実があり,被災した人たちを傷つける影像を通じて,亡くなった人に思いを馳せることができるという,私たちが日々繰り返しているこの矛盾。


映画「311」より(Movie Collectionから)


「311」は,見る者の思考の枠組みを強烈にゆさぶり,感情の安全弁をこじあける作品だ。消耗させ,げんなりさせる映画だ。それでも,311の直後に流した涙の記憶が遠ざかり,メディアを通じて大量の物語を消費したあの日々のなかで感じていた強い罪悪感が薄れゆく今こそ,見るに値する映画だと思う。





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