開演90分前には受付に着いたのだが,なんと両作品ともチケットはとっくに売り切れていた。がーん!!考えてみれば,ここは,ドキュメンタリー映画の制作者・観衆の層が厚く,日本のドキュメンタリーへの関心も高い台湾。しかも各国の業界関係者が集まる映画祭の場だ。「A」「A2」の評判がとどろいているのも,当然なのだった・・・。
映画祭会場の国立美術館 |
「石巻市立湊小学校避難所」より(Movie Collectionから) |
「石巻市立湊小学校避難所」(監督:藤川佳三,124分,2012年)は,大津波で甚大な被害を受けた石巻市の小学校の校舎に避難し,生活をともにすることになった人々の姿の6ヶ月にわたる記録だ。不思議な友情で結ばれた二人の女性--一人暮らしの70歳の愛ちゃんと,10歳の小学生の女の子・ゆきなちゃん--の姿を軸に,小学生の男の子とお母さん,福島から石巻の実家へ避難しボランティア活動をする女性,理容師さん,造船工場を営む兄弟,といった様々な人々にカメラを向けて,ひとりひとりの不安,怒り,喜び,再起への歩みを丹念に映き出した作品だ。
優れたドキュメンタリー映画は,できごとの広がりや,人の感情の複雑な絡まり合いを見せてくれるものだが,この映画にもそういう複眼的な視点がある。カメラは,支援物資の配給現場での管理者側の高圧的な取り仕切りぶりや,「ふるさと」を高らかに歌いあげる慰問団の善意に満ちた鈍感さにカメラを向ける。一方で,「見知らぬ人のために何かをしたい」という一途な思いが,被災者の抱える切実なニーズとうまく結びついたときにどれほど大きな力を発揮するか,たとえ不完全な存在ではあっても,ボランティアが被災者とどれほど深く結びつきくことのできる存在であるか,を見事に描きだしてもいる。避難所で生活する人たちのユーモアと笑顔,怒りと不安も,よく伝わってくる。特に,自分の怒りや違和感をカメラの前で率直に言葉にする女性たちの姿に感動した。撮る人への信頼がなければ不可能なことだと思うが,同時に,カメラを通して見知らぬ誰かに吐露せずにはいられない彼女たちの悲しみと怒りの深さを感じる。
「石巻市立湊小学校避難所」より(Movie Collectionから) |
映画の終盤,69歳の愛子さんの緊張と不安のなかで張り詰めていた心が,仮設住宅への入居が決まったことをきっかけに静かに溶け出す瞬間をとらえたシーンには,こちらまで何かが溶け出してしまったかのように涙がとまらなくなった。
上映が終わって暗い場内に明るい光が灯ったときに心に浮かんだのは,この作品をつくり,届けてくれた藤川佳三監督への感謝の思い。「この映画を撮ってくれて,見せてくれてありがとうございます」と,心からの謝意を伝えたい。そしてそれ以上に,カメラに向かって語ること通じて,自らの経験と感情を私たちに伝えてくれた出演者の方々に,深い感謝と敬意の気持ちを伝えたい。
国立美術館では,台湾ビエンナーレも開催中。 |
終演後,「311」の開始まで1時間近い休憩があったので,美術館のなかをぶらぶら歩き回った。台湾国際ドキュメンタリー映画祭は,この国立美術館の2ヶ所と市内の別会場3ヶ所のあわせて5会場で行われているそうだ。この映画祭は,世界有数の規模と質を誇る山形国際ドキュメンタリー映画祭(隔年開催)の「裏」の年に行われているのだが,世界各地からやってきた映画関係者らが美しい秋の山形の街を闊歩し,作り手と観客があちこちで親密な会話を交わす山形映画祭の国際色豊かな雰囲気に比べると,ぐっとローカルな雰囲気だ。この日の二作品の観客をみる限り,平均年齢はかなり若いように感じた。
敷地内の「春水堂」でパールミルクティーを飲んでリフレッシュ。15時から「311」(森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治,92分,2011年)を見たのだが,いやはや,これがまた大変な作品だった。「石巻市立・・・」を見て私の心にぽっとともった灯は,この映画の作り手--特に森達也の強烈な毒気にあてられて瞬く間にかき消されてしまったのである。
このとてつもないドキュメンタリストたちのダークなエネルギーの呪縛から抜けて,感想を文章にまとめられそうな気になったら,「311」の感想を書きたい。しかし当分は無理かもしれないなぁ・・・。
「311」(Movie Collectionから) |
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