「小藝埕」と「民藝埕」は,そんな迪化街に新しい風を吹き込む商業スペースだ。ここには,大稲埕の歴史を受け継ぎつつ,この街に新しい台湾文化の息吹を吹き込もうという理念を共有する若い起業家たちの店が集まっている。
「民藝埕」の内部。うなぎの寝床式の伝統的な商家のつくり。 |
ここから歩いて1分弱の「民藝埕」は,台南幫の創設者・侯雨利が店を構えていたという由緒ある建物にある。陶磁器を扱う二店舗(「亞洲民藝」と「台客藍」)のほか,二階には茶芸館(「南街得意」)がある。この二つのスペースに入居している店の顔ぶれは,大稲埕の歴史資産ともいえる「布・茶・漢方・演劇・建築」の商いを強く意識したものだという。
民藝埕の入り口 |
周さんは,当初,出版を志して「世代文化」という会社を興したのだという。しかし,結局出版業には展開せず,台湾の歴史との接点をもち,かつクリエイティブな力に富む小型店舗の創業をプロデュースすることで,ここ大稲埕から,新しい社会文化運動を発信することをめざすこととなった。
大稲埕を創業の地に選んだのは,ここが,日本統治下の台湾にあって,新たな社会運動と文芸活動の中心地であったからであり,台湾人の「本土アイデンティティ」の揺りかごとなった街でもあるからだ,という。日本人植民者が多く住んだ「城内」地区に対して,大稲埕は「城外」にあたり,「本島人の街」でもあった。蒋渭水が台湾文化協会を設立したのも,「本島人」の企業家らや芸術家らが集まり住んだのも,ここ大稲埕であった。1947年に起きた悲劇・二二八事件の発端となった事件がこの地で起きたのも,決して偶然ではなかった。新しい社会文化運動をおこすなら,台湾の本土アイデンティティの形成と深く結びついたこの街から始めたかった,と周さんは語る。
周さんに話を聞いた「南街得意」は実に居心地のいい茶芸館だった。 |
周さんがめざすのは,この町の歴史的な建物を活用しつつ,創業という営みを通じて,台湾の文化・価値を発信できるような「公共空間」を創り出すことだ。「公共空間」は「非営利空間」でなければいならないと考える人が多いけれども,それは正しくない。パリのカフェがそうであるように,国家や巨大資本から独立した人々に開かれた商業空間は,時に社会的な価値を作り出す場となる。台湾では多くの歴史的な建物が,閑古鳥のなく「何とかセンター」になったり,部外者が立ち入れないNGOのオフィススペースになったりして,非・公共空間となってしまっている。むしろ,長続きするかたちで歴史的な建物の価値を活用し,多くの人に開かれた創造力のある場にしていくために,「微型創業(マイクロ創業)」の力を結集したい。
周さんによると,迪化街は卸売業者が多い地域なので,貸店舗の区画面積が大きく,小さな起業家には出店が難しい地域なのだそうだ。周さんの会社は,店舗スペースを借り上げたうえで,これを小さな区画に分割して適切な賃料を設定し,それをまかなうに足る月々の売上額の目安を算出したうえで,出店希望者を募っている。また,多くの場合,周さんの会社がテナントへの出資もしてパートナーともなる。この地域の文化と歴史に深い関心を持ち,クリエイターとしての力量に富み,かつ,事業を成り立たせていくだけの経営の才覚も持ち合わせた起業家と出会うのは決して容易なことではないという。
それでも,この二つの商業スペースを訪れれば,周さんが,迪化街の伝統との接点を新しいかたちで提示できる優れた起業家の発掘に成功しつつあることを感じることができる。
琥珀色に輝く「東方美人茶」@「南街得意」 |
お茶請けも素晴らしく美味! |
周さんの「インキュベーター」としての役割は,アーティストたちの創業支援にとどまらない。「マイクロ創業(微型創業)」の「上流部門」に位置するクリエイターたちも彼の支援対象だ。「民藝埕」の「舞台裏」にあたる2F-3Fが,その「最上流部門」の拠点となっている。
2Fにはいくつかの会議スペースがあって,ここではもっか,大稲埕のエリアの活性化に向けたイベントやタウン誌作りの計画が進んでいる。
3Fには,共同のオフィススペースがあり,舞台美術家,作家,グラフィックデザイナーといった人たちが机を並べている。賃料は無料。その代わり,月にひとつ,「小藝埕」「民藝埕」のためにちょっとした頼まれ仕事をする,という条件なのだそうだ。私の友人が仕事場を構えているのもこのスペースの一角である。
ここに集まる人たちは,自分のビジネスを通じて迪化街から新しいものを発信しようとしているだけではなく,街ぐるみのイベントや,タウン誌の発行等を企画して,大稲埕という地域を台湾中に向けて,さらには台湾を訪れる観光客に向けてアピールしようと様々な計画を練っている。10月にはなにやら面白いイベントも企画しているそうだ。
周さんのめざす運動の「最上流」にあたるクリエイターたちのオフィス。 |
「民藝埕」でのミーティングで語る周さん。 |
周さんが政治の道から起業家へと転身した経緯については,聞いていない。しかし,周さんの話を聞いていると,この人は「自分の活躍の舞台の大きさ」なんていうことにはまったく関心をもたない本物の理想家なのだなぁと,じんわり感動する。彼の静かな語り口からは「台湾のために新しいものを創り出したい」,「理念を共有する人の小さな輪を少しずつ広げることで,社会を変えていきたい」という思いが伝わってくる。
最後に,周さんに「大稲埕出身なんですか?」と聞いてみた。予想通り,「違う」という答えだった。
日本でも,地域をおもしろくするのは「よそ者,若者,ばか者」だという。地域の魅力を新しく見つけるのは,往々にして,外からやってきた若者だ。そしてリスクをとり,時に古くから住む地元の人たちとのあつれきをいとわず,新しいことを始める「ばか者」こそが,その地域をおもしろくしていくものだともいう。
迪化街をおもしろくするのもやはり,こんな素敵な「よそ者,若者,ばか者」たちなのだろう。
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