ジェーン・オースティンの小説のとりこになってしまった。太平洋そごう忠孝店のジュンク堂で買った『ノーザンガーアビー』『高慢と偏見 上下』『エマ 上下』『マンスフィールド・パーク』と日本から差し入れてもらった『分別と多感』を読み終えてしまったので,残る長編小説は『説得』だけになってしまった。この本がジュンク堂の棚にあるかどうかを確かめる時には,思わず胸がドキドキした。あった,あった~。すばらしい。
ジュンク堂・金石堂@そごう。文庫,新書の品揃えが充実している。 |
オースティンの作品を読むのはこれが初めてではない。そもそも,私が世界でいちばん好きな小説家・夏目漱石がオースティンの大ファンなのだからして,彼女の作品がおもしろくないはずはない。小説の好みがあう友人たちのなかにも「オースティンが好きだ」という人が何人もいる。私は英文学者の新井潤美さんの大ファンなのだが,新井さんの出発点もまた少女時代に読みふけったオースティンにあるという。オースティンの小説を読む前に,新井さんの『自負と偏見のイギリス文化:J・オースティンの世界』(岩波新書 2008年)を読んでしまうという本末転倒?なこともした。
だが,実は,これまで『高慢(自負)と偏見』には二度チャレンジして,二度とも途中で飽きてやめてしまった。いちばん人気のある『高慢と偏見』でこうなのだから,他の作品はもっと合わないに違いない。どうもオースティンとはウマが合わないな。そもそもどうしてみんな,こんなもったいぶった会話がえんえんと続く小説を面白いと思うのかな,と首をひねっていた。
なのに,なぜ今頃になってオースティン作品のおもしろさに目覚めたのだろう?
小説は,ページを広げたとたんに今いる「ここ」から別の世界に連れて行ってくれる自由の翼だ。でもその翼が読み手をどこへ連れて行ってくれるか,そもそもどこへ連れて行ってくれる本に身を投じるかは,その日その時の気分によって,また読む側の目の前の現実との折り合いの具合によって随分と違う。期間限定での台湾暮らしのなかで生まれた新しい好奇心と,異国に身を置くよるべなさが,19世紀初頭のイギリスのジェントリー家庭の結婚話に再度,挑戦してみようという気持ちを後押ししてくれたのかもしれない。
もうひとつ,遅まきながらようやくオースティンの魅力に出会えた大きな理由は,ちくま文庫でオースティンの長編6冊を訳出した中野康司氏のみずみずしい翻訳文体のおかげである。挫折した二冊の訳者は,富田彬氏(岩波文庫)と中野好夫氏(新潮文庫)。この新訳のほうが断然読みやすく,作品のかなめである会話に躍動感がある。オースティンの主人公たち(orその周りの女性たち)は,恋に身を焦がしたり,相手の経済状況を厳しく値踏みして結婚の損得を計算したりする若い女性たちだ。そしてその周りには,みっともないふるまいをする家族,素っ頓狂な親戚,打算をもって近づいてくる女友達,軽薄な美青年といった濃厚なキャラクターが現われてさまざまな喜劇を展開する。その活劇的な楽しさと,その底にある作者の辛辣な人間観察を味わううえで,この新訳の読みやすさはとてもマッチしている。
10年でオースティン長編6篇の個人全訳をなさった中野康司さん,すばらしい! |
聡明で鼻っ柱が強くて機知に富んだエリザベス(『高慢と偏見』),世間知らずの空想家だけれども,純真な心の持ち主のキャサリン(『ノーサンガー・アビー』)。『エマ』の高慢な主人公や『マンスフィールドパーク』の引っ込み思案なファニーも,読み手とすぐに打ち解けるタイプの主人公ではないけれども,作品のなかでいろんなできごとを一緒に体験するうちに大切な友人のような存在になってくる。キャラクターの性格の一貫性や自然なストーリー運びに細心の注意を払った現代小説を読み慣れていると,最後に話が一気に展開して女主人公が幸せな結婚をすることになる展開や,主人公の性格のやや唐突な変化に,少々驚かされるかもしれない。でも,主人公といっしょに泣いたり笑ったりできる素朴な「物語の力」の強さという点で,オースティンの小説には本を読む喜びの原点のようなものがある。
真夏の台北でイギリスの田園風景をむりやり想像してみる@中央研究院「生態観察池」 ここだけ見ればダーシーのペンバリー屋敷のよう? |
オースティンが「愚かな人」を徹底して笑いものにする辛辣な観察家であることは,彼女の小説を少しでも分かることだが,登場人物に託して,作者が男性に向けて放つ言葉も,なかなか手厳しい。
「自分たちの物語をつくる点で,男性は女性より断然有利だったし,教育程度も男性のほうが
はるかに高かったし,ペンを握ってきたのもほとんどが男性ですもの。・・・・本なんて何の証
明にもなりませんわ」(『説得』p.388)
「ほらごらんなさい!女性には知性なんて必要ないと,男性は思っているのよ。男性はみん
な・・・男性の五感を魅了して,でも男性の意見には黙って従う,そういう女性が好きなのよ。」
(『エマ』上巻p.99)
また,当時流行していたゴシック小説への皮肉たっぷりのパロディに満ちた,『ノーサンガー・アビー』のような小説を読むと,作家としてのオースティンの自負と気概と創造性に心打たれる。遅まきながら,中野新訳と出会ってようやく,なぜこんなに多くの人たちがオースティンに魅せられてきたのかがよく分かった。
どの小説にも蝶のような女性が出てくる @木柵動物園昆虫館 |
とはいえ,岩波版・新潮版の格調高い文章になじんできた読者たちには,中野新訳のくだけた文体に違和感があるようだ。ネットでも,「はじめてオースティンの面白さにめざめた」という意見がある一方で,「物語の設定を考えると,敬語の使い方に問題がある」「文体に品がない」という批判も散見される。そして「やはり河出文庫版の阿部知二訳がいい」「いや,中野好夫訳だろう」「いや,中野康司訳の読みやすさはすばらしい」といった熱い議論が闘わされている。私自身は,新井潤美さんが論じているように(上掲書第1章),オースティンは決して「お上品」ではなく,「奢侈と堕落のリージェンシー」の時代を生きたどぎついユーモアの作家だったというのだから,中野康司訳の闊達さがマッチすると思う。
それにしても,Pride and Prejudiceだけでも7つの翻訳が出ていて,その好みを熱く語りあえるのだから,これってなんと贅沢なことか!翻訳大国・日本ならではの楽しみだと思う。
さて,昨日,最後の一冊『説得』をついに読み終えてしまった。寂しくなるなあ,と思いながら,アンの幸せな結婚を見届けたが,そうだ,今度は別の訳者の版でもう一度読んでみればいいだけなのだ。あの蓮っ葉なリディア(『高慢と偏見』)やKYなマリアン(『分別と多感』)は,阿部知二訳や中野好夫訳ではどんな言葉づかいでしゃべっているのかな?楽しみだ。明日,さっそくジュンク堂に行ってみよう。
『高慢と偏見』にはなんとあわせて7つの翻訳(岩波,新潮,筑摩,河出,講談社,ハーレクイン,光文社)が出ていることが分かったので,本文を修正しました。しかし7つってすごい!これを上回る数の翻訳が出ている小説って何でしょう・・・?
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