2013年8月25日日曜日

進んでいる台湾,遅れている日本?


中央研究院のモスバーガーでお昼を食べていたら,隣の席から英語の会話が聞えてきた。50歳前後のアメリカ人と,30歳台とおぼしき台湾人の男女が話に花を咲かせている。

Japanという言葉が繰り返し聞えてくるので,耳ダンボ状態で聞いていると,アメリカ人が,「日本がいかに窮屈でイヤな社会か」を力説している。いわく,日本人は権威に弱くて,肩書きのある人の前に出ると誰も何も言えない。満員電車の通勤客は機械のように無表情で無感情だ。男がやたらと威張っていて,女の地位はありえないほど低い。それに比べると,台湾はいかに自由で平等で,女性がのびのびと生きられる素晴らしい社会であることか。

「はいはい,その通りです」と思いつつ,「なんだかなー」という気分にもなる。

モスバーガーも入っている中研院活動中心

数少ないサンプルからの経験ではあるが,台湾の人々は,欧米の知識人やビジネスマンのあいだで,概して評価が高い。これに対して日本の評価は,下がるいっぽうだ。

人権意識・マイノリティへの理解の高さ,活発な社会運動,はっきりと意志表明をする文化。ビジネスの世界でいえば,決断力,機動力,コミュニケーション力。今日の台湾は,欧米の知識人やビジネスエリートが重視するこうした価値を高い水準で満たしている。女性の社会的地位という指標も,「実は進んでいる台湾,やっぱり遅れている日本」という対比を強調するためによく挙げられる。

しかも,台湾はこの10数年のあいだに,「公共空間でのマナー」といった苦手項目でも長足の進歩を遂げた。社会も個人もすっかり疲れ切ったように見える日本は,いかにも分が悪い。

喩えていえば,今の台湾は,公私ともに脂がのり,自信に満ちた,30過ぎの働き盛り。感情的な行動に出ることも多いけれど,自己修正力の高い若者だ。かたや日本は,定年退職してまもない60台半ば。しかもこのシニアは,東日本大震災で心身に受けた深刻な傷がいまだ癒えていない病身でもある。(最近は新しい医者が現われて,やれ筋肉増強剤を飲め,精力剤を飲めと,大忙しのようだが・・・)

日本社会には,落ち着き,配慮,豊かな知識と深い趣味の世界,といった美点があると思うのだが,台湾の若々しい活力に比べられたら,とうてい叶わない。

そう考えれば,隣席のアメリカ人の発言に,いちいち目くじらを立てるまでもないのかもしれない。私自身,彼が指摘したような日本社会の側面を常に腹ただしく思い,台湾の友人に向かってぼやいてもいるのだ。しかし,それでもやはり,こういう発言を耳にして抱くのは,「ステレオタイプ化されるのは,いやなものだなぁ」という素朴な感情だ。対象への関心や愛情のかけらも感じられない語り口での類型化は,なおさらそうだ。類型論をむやみにタブー化するのは愚かなことだと思うけれども,時に,誰かをカテゴリー化することが,笑い話ではすまされない暴力性を持つものであることを思い知らされる。

ステレオタイプな類型論はまた,社会現象を多面的にみる視線をふさぐことにもなる。

例えば,日台比較の際にしばしば強調される「台湾の女性の地位の高さ」というポイント。公的領域での台湾の男女の平等度(登用面,意識面ともに)が日本に比べて圧倒的に高いことに異論はない。ただ,それを強調するあまり,台湾の女性たちが直面している困難が見過ごされていることが気にかかる。

私的領域に目を向けて,「嫁」「妻」「母」「娘」としての彼女たちが抱えている負担や困難を,「娘婿」「夫」「父」「息子」のそれと比べてみれば,台湾が単純に「すばらしい男女平等社会」ではないことが見えてくるはずだ。高い意識をもち,あらゆる面で対等な夫婦関係を築いている都市部のインテリ・カップルがいる一方で,大多数の台湾の女性は,伝統的な大家族のなかでの「嫁,娘」の役割と,家計の経済戦略の論理から要請される稼ぎ手としての役割の両立を求められている。台湾人男性が「男女が平等な台湾社会」を誇らしげに語るのに対して,女性の友人から聞く現実はなかなかにシビアだ。

隣席では,アメリカ人の話に,台湾人の聞き手たちが盛んにあいづちをうち,「日本人は分かりづらいよー」「日本の女性は本当にかわいそう」と感想を述べている。幸か不幸か,台湾にいると,日本人の自尊心をくすぐるようなカテゴリー論を耳にすることのほうが多いけれども,若い彼ら・彼女らの目に映っている日本人の姿は,実際には,もっと不気味で理解しがたいものであるはずだ。

そう思えば,今日この席に座り,この会話を聞くことができたのは,悪くない巡り合わせだったのかもしれない,と思いながら,モスバーガーの席を立った。


活動中心そば,「生態観察池」は自然がいっぱい。



2013年8月4日日曜日

カメラと『キメラ』と行く旧・満州の旅

7月末に,ハルビン・長春へ一人で旅行してきた。

1日目(7/24 木)はエバー航空の直行便で台北からハルビンへ。ホテルに荷物をおいてすぐに,ハルビン市建築芸術館分館(旧ユダヤ新教シナゴーグ)に行き,20世紀前半のハルビンで栄えたユダヤ人コミュニティについての展示を見学。夕方からは,市内随一の繁華街・中央大街(旧キタイスカヤ)を散歩し,ロシア料理の夕食を食べた。2日目は午前の高速鉄道で長春へ。午後,1932-45年にかけて溥儀が満洲国皇帝として住んだ仮宮殿跡(「偽満皇宮博物院」)を見学。3日目は午前中,長春市内の旧・満州の建物めぐりをし,昼過ぎの高速鉄道でハルビンへ。旧東清鉄道職員住宅が残る西大直街の南側エリアを散歩し,夜は中央大街周辺を散策。夕食は昨日に続き,餃子屋さん。本場の水餃はおいしかった。4日目は午前に731部隊跡を見学し,午後のフライトで台北に戻った。

東北地方は,上海・広東とは別の世界だった。ホテルやレストランでの「没有(ないよ)」「不知道(知らないよ)」攻勢は想定内だったが,困ったのがタクシー事情の悪さだ。特に1日目は,空車がまるでつかまらなくて,途方にくれた。ようやく捉まえたタクシーでも,ボラれてしまった。

もっとも,2日目午後に,「ここではタクシーは相乗りするものなのだ」ということに気づいて,楽になった。先客が乗っている車でも,行き先が順路ならば乗せてもらえるのだ。相乗りには,遠回りになるというデメリットと引き替えに,ボラれないというメリットがあって有り難い。

ハルビン・長春は,歴史散歩のしがいのある街だった。特に,映画『ラストエンペラー』(ベルトルッチ監督,1987年)を見て以来,いつか行きたいと思っていた満洲国の首都・長春はみごたえがあった。

溥儀が住んでいた仮宮殿では,溥儀たちの生活・執務スペースがよく保存されており,たいへん興味深かった。関東軍参謀だった吉岡安直(溥儀の御用掛)の執務室があったりするのが生々しいが,『ラストエンペラー』『流転の王妃の昭和史』(愛信覚羅浩,1992年)とのかかわりから興味深いのは,やはり溥儀と皇后・側室たちが暮らした緝熙楼だ。部屋のしつらえやスペースの割り当てからも,婉容皇后の孤独な生活,溥儀の寵愛を受けた側室の満たされた生活の様子など,溥儀と妻たちの数奇な運命が伝わってくる。

旧宮殿への入り口には「九一八を忘るるなかれ」との江沢民の大きな揮毫が。

婉容皇后のアヘン吸引室。


「建築とはかくも雄弁なものよ」と唸らされたのが,新民街に沿って整然と並ぶ旧・満洲国中枢部の建物群だ。威圧感や和洋中の折衷ぶりは,建物によって異なるのだけれども,とにかく日本の,いや関東軍の異様な鼻息の荒さが視覚を通じて伝わってきて,驚いた。写真ではあまり伝えられないが,とにかく「でかい!」という印象。これに比べれば,帝国初の植民地・台湾で日本が建てた建築の数々は,落ち着いたたたずまいであったのだなぁ。

旧・満洲国司法部跡(現在は吉林大学医学部)

旧・満洲国国務院跡(現在は吉林大学医学部)



なんですか,これは!すごすぎる・・・旧関東軍司令部(現在は中国共産党吉林省委員会)

さて,一人旅の道連れは,愛用機リコーCX6。ところが,3日目の午後,このカメラが突然壊れてしまった。レンズが怪しい開閉運動を繰り返したあげく,勝手に閉じてしまうのだ。うーん,困った。

ハルビンでは,目玉の中央通から外れたたあたりに,戦前期からの古い建物がたくさん残っていた。ようし撮るぞ!と張り切った直後に突然逝ってしまったカメラのことが,恨めしくてならない(涙&怒)。

ハルビンの旧・東清鉄道幹部職員住宅。
けれども,もうひとつの旅の道連れ,山室信一『キメラ-満洲国の肖像 増補版』(中公新書,2004年)は,旅の最後まで私を助けてくれた。

今回の旅で,私は初めて中国の「愛国教育」の現場に足を運んだ。「偽満皇宮博物院」併設の「東北淪陥史陳列館」が,典型的な愛国主義教育施設だったのだ(この「博物院」の性格規定については長春市政府のサイト参照)。

展示を見終えて,建物の前の階段に座って,考えた。

428頁,参考文献だけで23頁の増補版。二つの後書きも素敵です。
日本の侵略がいかに多くの中国の人々を残酷な運命においやったか。そのことを中国人が語り継いでいくのは当然のことであるし,日本人も深く学ばねばならない事実である。私もこの展示をみて初めて知ったことも多く,その凄惨さに胸がふさがった。

しかし,この陳列をみて感じたのは,日本を徹頭徹尾,「侵略への欲望に燃えあがった残虐者集団」として-つまり理解不能な変態集団として-描くこのような展示手法は,日本の中国侵略のあやまちを考えるうえでも,決して有益でないだろう,ということだ。

『キメラ』は,優れた歴史の書物の常で,その時代に生きた人々の世界認識に内側から光をあてる。当時の日本が誤った道に突き進んでいった主観的要因と外在的要素を丁寧に掘り下げていくことは,決して,満洲国の暴力性,欺瞞性を正当化するための作業ではない。むしろ,どのような情勢認識と行動の相互作用,軍部・政治指導者の利害と国民の感情の相互作用が,あの時代の日本を中国侵略へと駆り立てていったのかを知るための最も重要な作業なのだ。

日本が,異常な侵略の欲望に燃えた変態ファシスト集団だったと決めつけてしまえば,ある意味,話は分かりやすい。もうそれで話は決まりだ。しかしそれは,あの悲惨きわまる歴史を二度と繰り返さないための知恵の蓄積には役立たないだろう。

15年ぶりに読んだ『キメラ』は,怪獣キメラと同じように,異なる生命体が接合されたような不思議な生命力をもつ本だった。前半ではアカデミックで禁欲的な筆致で,満洲国の歴史が語られていく。後半(特に終章)になると一転,筆者は,悲愴な感情に突き動かされるかのように,満洲国を通じて日本が中国の人々に強いた苦痛を描きだす。

目を背けたくなる歴史,国と区のあいだで激しい感情対立をよぶ歴史と向かい合うのはおそろしく骨が折れる作業だ。それでも,歴史の複雑さと向き合うことからしか何も始まらない。この本にみる山室氏の「キメラ的」な知性のあり方-国家の暴力にふみにじられた人々の苦痛への想像力と,多面的,実証的な研究姿勢をかねそなえた姿勢-は,そのために学問にできることを見事に指し示している。