2013年4月30日火曜日

「台湾大車隊」の業界革新: 台北タクシー 今むかし


タクシー会社の「台湾大車隊」が,昨年末に台湾証券交易所で店頭公開を果たしたそうだ。いやー,大したものだ。でも,この会社なら上場にまでこぎつけても不思議ではない。クロネコヤマトやセブンイレブンが日本のサービス産業のイノベータであるように,「台湾大車隊」は台湾のタクシー業界に新風を吹き込んできたエクセレント・カンパニーなのだ。


典型的な「台湾大車隊」の車両。
台湾大車隊の成立は2005年。同業者に先駆けてGSPを利用した配車システムを確立するとともに,タクシー業界に「品質」概念を導入し,加入車両数を急速に伸ばしてきた。加盟車両数はすでに12,000台を越え,年に1000台以上のベースで増えているそうだ。

私も「台湾大車隊」にはよくお世話になっている。私は日本ではめったにタクシーに乗らないので,正確に比べることはできないのだが,「台湾大車隊」の出現によって,台湾の都市部(特に台北圏)のタクシーの利便性は東京より断然よくなったのではないだろうか。「大車隊」は配車の効率,サービスの質(絶対的なレベルというより業界を革新した度合い)という点で,極めてレベルの高いサービス企業だと思う。

実際,「台湾大車隊」には,東南アジアや中国の事業家から技術提携の申し込みが寄せられているそうだ。ただ,同社は,向こう3年は台湾市場の経営に専念し,幹部と人材を育成したのちに海外市場に展開する方針なのだそう((『財訊』411号,2012年11月8日,p.38)。

このマークが目印。

「台湾大車隊」は,いくつもの点で革新的な存在だ。まず,その名の通り,台湾全土に張り巡らされたタクシーネットワークなので,西部のある程度の規模の都市でならば,同じ番号に電話をすれば,どこからでもタクシーを呼べること(*もっとも車は圧倒的に西海岸の大都市に集中しているそうで,地方都市では駅周辺に集中しているらしい)。

そして,規模を活かして高度なシステム化を行い,高い配車効率を実現していること。配車センターに電話をすると,当方の電話番号に対応した前回利用時の乗車地点の記録が自動音声で読み上げられる。前回とは異なる地点から乗車する場合に限って,オペレーターにつながり,配車を受けるしくみだ。オペレータは配車を完了した瞬間にシステムを離れ,割り当てられたタクシーの番号と,タクシー到着までのおおよその待ち時間は自動音声で流れる。利用者にストレスをかけずに,最小限の人員で配車作業をこなすことに成功している。

そのような「効率」にもまして重要な「台湾大車隊」の売りは,「安心して乗れる」タクシーであることだ。セブンイレブン,クロネコヤマトといったブランドが安定したサービスを約束する印であるように,「台湾大車隊」のブランドも,「安全なタクシー」という品質を約束してくれる。車も新しいものが多く,車内も概して清潔だ。


「最も美しい日本統治期の建物のひとつ」とも言われる,台湾大学付属病院旧館。


今でこそ,台湾のタクシーは,基本的には「安心して乗れる」乗り物となったが(*それでも時たま,不幸な事故が起こるので,観光客はご注意!),私が前回,台北に住んでいた1990年代半ばの状況は違った。特に女性にとって一人でタクシーに乗るのは危険を伴うことだった。1996年には,女性運動のリーダーでもあった立法委員(国会議員)の彭婉如さんが高雄でタクシーに乗ったのを最後に消息を絶ち,遺体で見つかるという衝撃的な事件が起こった。この不幸な事件は今にいたるまで未解決のままなのだが,その衝撃は,台湾のタクシーの安全性を高める取り組みへのきっかけともなった。

私もタクシーでは何度も不愉快な目にあったことがある。こちらが外国人だと分かると,遠回りをされたり,昼間に夜間料金ボタンを押されたり。気の荒い運転手さんも多く,乱暴な運転に冷や冷やさせられることも多かった。

業界内での抗争も激しかった。ライバルグループ間での大規模な乱闘事件がしばしば起きていたし,選挙が近づくと,支持政党の旗を挿したタクシーが選挙カーと一緒に行進したりしていた。乗り合わせたタクシーで,様々なアイデンティティ・価値観をもつ運転手さんの話を聞くのは楽しかったが,長々と演説を聞かされたり,絡まれたりするのには閉口した。

2000年代に入ってそんなタクシー事情が急速に改善したのは,台湾の消費・生活文化の成熟,MRTをはじめとする交通インフラの整備,携帯電話の普及といった様々な変化の複合的な結果だろう。特に携帯電話の普及は,タクシーという密室に閉じ込められる乗客に ”SOS発信器”を持たせる効果を持ち,タクシーを使うリスクを大きく引き下げた。同時に,「台湾大車隊」のような配車システムを軸とする大型グループへの加入を後押しし,業界の組織化の原動力ともなった。

今,台北の街中でタクシーを拾おうとすると,「台湾大車隊」をはじめとする大手の系列グループの存在感の高さに驚かされる。また,タクシー運転手の党派性がぐんと薄まったことも実感する。かつてのように,運転手さんから「なに人か?結婚しているか?夫は何をしているのか?月給と家賃はいくらか?」といった質問を矢継ぎ早に浴びせられることも少なくなった。

それにしても,アクの強い個人事業主の寄り合い所帯で,ケンカと政治の気配が色濃く漂っていたあの無秩序なタクシー運転手の世界で,わずか10年足らずのあいだに「台湾大車隊」のような大企業然としたグループが軸となって急速な組織化が進もうとは,いったい誰が想像しただろう?

私が台湾の経済や企業の勉強を始めた1990年代半ばには,しばしば台湾の企業や企業家の行動を語るさいに,その「中小企業的心性」「属人的な信頼関係への依存」「商業主義的性格」といった文化的な側面を強調する説明が用いられた。あたかも設備投資や組織の大型化・制度化への消極性が永続的な傾向であるかのように語られることも多かった。今になって振り返ると,そのような"心性"や"傾向"が経済環境の変化とともにいかに急速に変わっていくものであるか,その可塑性に驚かされる。

板橋・林家花園にて
というわけで,すっかり景色が変わった台湾タクシー事情に15年の歳月のうつろいを重ね合わせていた今日この頃なのだが,変わったものもあれば,変わらぬものもあるようだ。

先日,日本からの来客といっしょにタクシーに乗る機会が続いたのだが,初めて台湾のタクシーを経験した人たちが,みな一様に「こ,怖かったねぇ,今の運転・・・」と凍っている。「あれ,そう?10年前に比べたらずっと丁寧な運転になったんだけれどな・・・」と答えたものの,改めて考えてみると,確かに,ハンドルを握ったがさいご,決して譲り合わない台湾人のアグレッシブな運転ぶりは,この10数年の間,さほど変わっていないような気がする。

うーん・・・MRTのなかでは席を譲り合い,混んだ電車は1本見合わせる心の余裕を持つ台湾の人たちが,車に乗ったとたんに,わずかな隙間を見つけて割り込み,道を譲ろうとしない短気なドライバーに変身するのは,いったいなぜなんだろう?


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