2013年3月31日日曜日

社会学の社会的効用? 台湾STS学会,再び


3月23(土)~24(日)日に,台湾大学で,台湾STS(science, technology and society)学会の年次大会が開かれた。私は1日目の「東アジア技術論壇」でパネル報告をしたほか,5つの分科会の議論を傍聴した。STSという学問のおもしろさを実感するとともに,日台のSTSの研究事情の違いの後ろにある社会科学の歴史や,分野構成の違いについても考えさせられるた2日間だった。



STSとは,科学技術と,社会・政治・経済システムとの相互作用に焦点をあてる様々な研究の緩やかな集合体だ。2度の大会に参加して,私はこの学問のエッセンスは「科学を社会科学する」ことにあると理解した。

去年の大会参加記でも述べたが,台湾のSTS研究は,総じて批判的,実証的,実践的な性格を持つ。今回の大会でも,公害紛争や医療技術を事例として,自分の身体や生活空間に対する決定権の「蚊帳の外」に置かれることとなった人々に焦点をあてた研究報告が目についた。具体的な事例をもとに,科学技術の「客観性」の政治的・社会的構築性を論じるというアプローチのものが多い。科学技術の「客観性・科学性」のブラックボックスを開ける作業は,環境アセスメント,疫学調査,医学的因果関係といった専門的な知識によって排除される人々をエンパワーするという実践的な含意も持つ。


会場は初めて存在を知った台大・水源校舎。

校舎のなかにいた黒犬。分科会中にワオーンと遠吠えする。
今回の大会の登録参加者数は350人。台湾の学術界の人口規模を考えると,大変な盛況だ。参加者リストをみると,社会学部(社会学系)の研究者が多い。清華大学,交通大学といった理系の大学や医学部の教養科目系の教員も目につく。台湾のSTS研究の主力は社会学者たちだ。

日本の状況はどうか。2000年と古いデータだが,「日本のSTS教育・研究の現状から研究者の専門分野別データをみると,「科学技術史」53名,「哲学」52名,「経済学」43名,「工学」42名が上位を占める一方,「社会学」という専門分野は選択肢にも挙げられていない。51名も該当者がいる「その他」や,36名も該当者がいる「その他文学」に多数の社会学者が紛れ込んでいるような気がするが,「社会学」は,独立した学問分野として選択肢に入ってすらいないのだ。

ここからは,日本の「科学技術と社会(STS)」研究における社会学者の不在,日本の学問分類のなかでの社会学の不可視性という興味深い現象がみてとれる。


学会ポスター。

今回,台湾に滞在して改めて驚かされたのが,社会学の活況ぶりだ。これはおそらく,台湾の学術界がその強い影響下におかれているアメリカの状況を色濃く反映してもいるのだろう。

実践面でいえば,台湾の社会学部は,社会運動のリーダーやメディア記者の輩出源として社会的なプレゼンスを確立しているようだ。この1年の間にも,台湾では,都市再開発をめぐる紛争(士林の文林苑事件),反メディア寡占運動,反原発運動といった社会運動が起きたが,これらの運動には,多くの社会学部の教員や学生たちが参加している。そして彼ら・彼女らの運動は,再開発をめぐる法制度の見直し,旺中グループのメディア事業拡大の阻止,第4原発をめぐる国民党内の意見対立の発生といった具体的な成果を生み出してきた。

研究面でいえば,「批判的,実証的,実践的」という台湾STS研究の性格は,台湾の社会学の性格そのものだ。台湾の社会学徒たちの研究をみていると,彼ら・彼女らが,「社会の主流の価値観や,当たり前とされる物事を疑う視点」「学問的にも実践的にも意味のある問いを設定することの意義」を大切にしていると感じる。ジェンダーの視点も強い。そして,そのような「社会学的思考/志向」が,上述のような社会運動やメディアでの意見発信を通じて,社会とのあいだに相互作用を持っているように感じる。



「木綿花」の鮮やかな季節がめぐってきた。
海外で生活していると,日々の生活のなかで,社会学的リテラシーを問われる場面に出くわす。私自身,台湾の人から日本人・日本社会の「不思議」について聞かれるたびに,自分が日本の社会や文化を社会科学的にとらえるための基礎的な視点を欠いていることを痛感させられる。

日本の社会学が,台湾の社会学のような活気と国際性を持つのかどうか,私はよく知らない。

しかし,台湾における社会学の社会的効用を見るにつけ,また研究領域の多様化や,分野間での望ましい評価基準・発信形態の違いへの配慮の消失といった近年の趨勢を見るにつけ,日本でも,老舗国立大学で特に顕著な「法・経・文体制」を解体して,社会学や政治学といった法・経・文のサブセクターに位置づけられている研究領域にも独立王国を築いてもらって,それぞれ発展を追及してみてはどうか,という妄想がひろがる。

少なくとも,目新しい名前のついた学際的学部を新設するより,社会学部・文化人類学部・歴史学部といった,東アジアや欧米に交流対象となり運営のモデルともなる学部があるような学部を開設することのほうが,日本の文系の研究・教育の国際化と活性化につながるように思うのだが。

もっとも,ある領域を組織として独立させさえすれば,その分野が自然と活性化するという発想自身が,組織の「社会的埋め込み」を無視した,社会学的リテラシーを欠いた発想なのだろうけれども。


STS学会の懇親会にて。

2013年3月12日火曜日

20万人の「素人」たち: 3.9台湾反原発大行進

いったいどこからこんなに多くの人が集まってきたのだろう? 夕方の中山南路を埋め尽くすデモ参加者の長い長い列に,衝撃を受けた。「我反核」の旗を掲げて行進する学生たち,手作りのプラカードを手に一人で歩く女性,「廃核」ステッカーを服に貼った子ども連れの家族。彼らと一緒に歩いていたら,涙があふれそうになって,慌ててほっぺたの内側を強く噛んだ。


「私は台北芸大生,原発反対!」というゼッケン。

若者比率が高かった
3月8(金)~9(土)は台湾にとって慌ただしい週末となった。8日の夜は,WBCの日本vs台湾戦。延長10回,4対3で日本に逆転勝ちを許す結果となったが,日台双方が激戦を繰り広げた両チームをたたえる一夜となった。

明けて9日。この日は,福島の原発事故から2年となる週末にあわせて,大規模な反原発デモが予定されていた。朝から強い日射しが照りつけ,午後2時に集合場所の総統府前広場に着いた時には,初夏を思わせる暑さだった。

会場周辺にはすでにぎっしりと人が集まっている。若い人が多く,家族連れ・友人どうしといった小さなグループの姿が目につく。デモ隊の出発は14:30の予定だったが,予想を上回る人数が集まったため,時間を繰り上げて出発することになった。翌日の聯合報によれば,最初のグループが出発してから1時間以上が経っても,後方のグループは出発できなかったという。


とにかく暑かった。ひ弱な私は出発時と夕方の限定参加・・・
台湾は,福島の原発事故の衝撃を最も深刻に受け止めた社会の一つだ。その理由の一つは,台北の北東・約40Kmで建設中の第4原子力発電所(「核四」)の存在にある。この原発は計画から30年,着工からもすでに10年が経っているが,紆余曲折があっていまだに完成していない。最近も,建設途中での事故が相次いでおり,専門家や工事関係者から,技術的・構造的な問題の根深さを指摘する声が上がっている。すぐ側を活断層が走っているという調査結果もあるし,度重なる建設中止によって工事の質に大きな影響が出ているという指摘もある。

台湾も日本と同様,地震の多い土地だ。しかも,人口が密集する台北圏の近隣地域ですでに2つの原発が稼働している。それに加えて,技術的な問題の大きい第4原発を無理に稼働するようなことだけは,なんとしても避けなければならない--。福島の原発事故以降,台湾ではそんな声が急速に強まっている。

このような情勢のなかで,先月就任した江宜樺・行政院長が,「第4原発の建設中止の可否」を問う公民投票を実施する旨を表明した。島内4箇所で同時に行われる「3.9反原発大行進」の成否は,今後の反原発運動の行方を占う重要なイベントとして,注目されるものとなった。


cafe philo関係者たちの列。
りんご日報ウェブ版(3/9)より拝借(撮影:田裕華)


私が見る限り,このデモは大成功だったと思う。参加者数は,デモ開始後に,全島で10万人(:主催者発表。警察発表では6.6万人)と発表されたが,その後,22万人へと大きく上方修正された。実際の参加者はその何割引きだろうが(*とはいえ,この手の出入りの自由な長丁場のイベントでは,そもそも人数の数えようがない),主催者の予想を大きく上回る人数がマーチに参加したことは間違いない。デモから2日後に民進党の人たちと話をする機会があったのだが,若者を中心に予想を数倍上回る参加者が自発的に集まったことに,たいへん驚いたと語っていた。

私はこの10年ほど,台湾の政治集会を見学しておらず,最近では,去年5月の第2期・馬政権発足時に野党が組織した大規模デモに足を運んだだけだ。そのためこのデモの熱気や規模を過去の同種のデモと比較して測ることはできない。それでも,このデモには,参加者の数という「量的規模」では測れない「質的」な新しさがあると感じた。

特に印象に残ったのが,若者やカップル・家族連れの多さに象徴される自発性だ。ベビーカーを押している人もいれば,中学・高校生の子どもと親という組み合わせも多数参加している。信義エリアで見かけるようなおしゃれな若い恋人たちや女性もたくさん来ている。動員されてやってきたとは思えない面々だ。また,政党が組織する集会では,鉢巻や旗といったグッズが配られるのだが,この日は自作のものを持ってきた人も多かった。反原発のシンボルの旗を身体に巻き付けている人も多かったが,この旗は人気が高く,品薄状態らしい。

台湾の政治集会の特徴ともいうべき祝祭性にも,政党主導のデモとは違う色合いが感じられた。1995-97年の台北赴任時に見学した選挙集会や,去年の反馬政権デモが,一段高くしつらえた固定舞台での出し物を中心とする企画型・動員型だとすれば,この日のデモは分散型のストリートパフォーマンス系だ。

何より,3.9デモの最大の成功は,台湾の政治を特徴付けてきた激しい政治陣営間対立とは一線を画したかたちで,これだけの規模の街頭行動を実現できた点にあると思う。翌日の新聞のなかではデモの扱いがもっとも小さかった保守系の新聞「聯合報」でも,「素人(一般の人々)の街頭行動に新しいページが刻まれた」という標題のもと,この日のデモでは,これまでの反原発運動とは違って,政治家が表に登場せず,NGO,アート界(映画監督や芸能人たち)と一般大衆がマーチを主導したこと,これによって反原発運動が「青陣営(国民党系)vs緑陣営(民進党系)」の図式を越え,新たな市民運動へと発展したことの意義が強調されていた。私もその通りだと思う。

翌日の各紙は「20万人の参加」を大きく伝えた(facebook中央社サイトより。)

デモにはペット連れでやってくる人も多い。
この日の夜,WBCの対キューバ戦で,中華台北(台湾)チームは,0-14のコールド負けというなんともトホホな結果に終わった。でも,もし「市民社会のパワー・国別対抗戦」とか「デモを盛り上げる創意工夫・世界コンテスト」などが開かれたら,台湾チームは多分ぶっちぎりで優勝するだろう。