2012年8月24日金曜日

翻訳,ばんざい!:台北でオースティンを読む


ジェーン・オースティンの小説のとりこになってしまった。太平洋そごう忠孝店のジュンク堂で買った『ノーザンガーアビー』『高慢と偏見 上下』『エマ 上下』『マンスフィールド・パーク』と日本から差し入れてもらった『分別と多感』を読み終えてしまったので,残る長編小説は『説得』だけになってしまった。この本がジュンク堂の棚にあるかどうかを確かめる時には,思わず胸がドキドキした。あった,あった~。すばらしい。

ジュンク堂・金石堂@そごう。文庫,新書の品揃えが充実している。


オースティンの作品を読むのはこれが初めてではない。そもそも,私が世界でいちばん好きな小説家・夏目漱石がオースティンの大ファンなのだからして,彼女の作品がおもしろくないはずはない。小説の好みがあう友人たちのなかにも「オースティンが好きだ」という人が何人もいる。私は英文学者の新井潤美さんの大ファンなのだが,新井さんの出発点もまた少女時代に読みふけったオースティンにあるという。オースティンの小説を読む前に,新井さんの『自負と偏見のイギリス文化:J・オースティンの世界』(岩波新書 2008年)を読んでしまうという本末転倒?なこともした。

だが,実は,これまで『高慢(自負)と偏見』には二度チャレンジして,二度とも途中で飽きてやめてしまった。いちばん人気のある『高慢と偏見』でこうなのだから,他の作品はもっと合わないに違いない。どうもオースティンとはウマが合わないな。そもそもどうしてみんな,こんなもったいぶった会話がえんえんと続く小説を面白いと思うのかな,と首をひねっていた。

なのに,なぜ今頃になってオースティン作品のおもしろさに目覚めたのだろう?

小説は,ページを広げたとたんに今いる「ここ」から別の世界に連れて行ってくれる自由の翼だ。でもその翼が読み手をどこへ連れて行ってくれるか,そもそもどこへ連れて行ってくれる本に身を投じるかは,その日その時の気分によって,また読む側の目の前の現実との折り合いの具合によって随分と違う。期間限定での台湾暮らしのなかで生まれた新しい好奇心と,異国に身を置くよるべなさが,19世紀初頭のイギリスのジェントリー家庭の結婚話に再度,挑戦してみようという気持ちを後押ししてくれたのかもしれない。

もうひとつ,遅まきながらようやくオースティンの魅力に出会えた大きな理由は,ちくま文庫でオースティンの長編6冊を訳出した中野康司氏のみずみずしい翻訳文体のおかげである。挫折した二冊の訳者は,富田彬氏(岩波文庫)と中野好夫氏(新潮文庫)。この新訳のほうが断然読みやすく,作品のかなめである会話に躍動感がある。オースティンの主人公たち(orその周りの女性たち)は,恋に身を焦がしたり,相手の経済状況を厳しく値踏みして結婚の損得を計算したりする若い女性たちだ。そしてその周りには,みっともないふるまいをする家族,素っ頓狂な親戚,打算をもって近づいてくる女友達,軽薄な美青年といった濃厚なキャラクターが現われてさまざまな喜劇を展開する。その活劇的な楽しさと,その底にある作者の辛辣な人間観察を味わううえで,この新訳の読みやすさはとてもマッチしている。

10年でオースティン長編6篇の個人全訳をなさった中野康司さん,すばらしい!


聡明で鼻っ柱が強くて機知に富んだエリザベス(『高慢と偏見』),世間知らずの空想家だけれども,純真な心の持ち主のキャサリン(『ノーサンガー・アビー』)。『エマ』の高慢な主人公や『マンスフィールドパーク』の引っ込み思案なファニーも,読み手とすぐに打ち解けるタイプの主人公ではないけれども,作品のなかでいろんなできごとを一緒に体験するうちに大切な友人のような存在になってくる。キャラクターの性格の一貫性や自然なストーリー運びに細心の注意を払った現代小説を読み慣れていると,最後に話が一気に展開して女主人公が幸せな結婚をすることになる展開や,主人公の性格のやや唐突な変化に,少々驚かされるかもしれない。でも,主人公といっしょに泣いたり笑ったりできる素朴な「物語の力」の強さという点で,オースティンの小説には本を読む喜びの原点のようなものがある。

真夏の台北でイギリスの田園風景をむりやり想像してみる@中央研究院「生態観察池」

ここだけ見ればダーシーのペンバリー屋敷のよう?


オースティンが「愚かな人」を徹底して笑いものにする辛辣な観察家であることは,彼女の小説を少しでも分かることだが,登場人物に託して,作者が男性に向けて放つ言葉も,なかなか手厳しい。

   「自分たちの物語をつくる点で,男性は女性より断然有利だったし,教育程度も男性のほうが
    はるかに高かったし,ペンを握ってきたのもほとんどが男性ですもの。・・・・本なんて何の証
    明にもなりませんわ」(『説得』p.388)

   「ほらごらんなさい!女性には知性なんて必要ないと,男性は思っているのよ。男性はみん
    な・・・男性の五感を魅了して,でも男性の意見には黙って従う,そういう女性が好きなのよ。」
    (『エマ』上巻p.99)

また,当時流行していたゴシック小説への皮肉たっぷりのパロディに満ちた,『ノーサンガー・アビー』のような小説を読むと,作家としてのオースティンの自負と気概と創造性に心打たれる。遅まきながら,中野新訳と出会ってようやく,なぜこんなに多くの人たちがオースティンに魅せられてきたのかがよく分かった。


どの小説にも蝶のような女性が出てくる @木柵動物園昆虫館


とはいえ,岩波版・新潮版の格調高い文章になじんできた読者たちには,中野新訳のくだけた文体に違和感があるようだ。ネットでも,「はじめてオースティンの面白さにめざめた」という意見がある一方で,「物語の設定を考えると,敬語の使い方に問題がある」「文体に品がない」という批判も散見される。そして「やはり河出文庫版の阿部知二訳がいい」「いや,中野好夫訳だろう」「いや,中野康司訳の読みやすさはすばらしい」といった熱い議論が闘わされている。私自身は,新井潤美さんが論じているように(上掲書第1章),オースティンは決して「お上品」ではなく,「奢侈と堕落のリージェンシー」の時代を生きたどぎついユーモアの作家だったというのだから,中野康司訳の闊達さがマッチすると思う。

それにしても,Pride and Prejudiceだけでも7つの翻訳が出ていて,その好みを熱く語りあえるのだから,これってなんと贅沢なことか!翻訳大国・日本ならではの楽しみだと思う。

さて,昨日,最後の一冊『説得』をついに読み終えてしまった。寂しくなるなあ,と思いながら,アンの幸せな結婚を見届けたが,そうだ,今度は別の訳者の版でもう一度読んでみればいいだけなのだ。あの蓮っ葉なリディア(『高慢と偏見』)やKYなマリアン(『分別と多感』)は,阿部知二訳や中野好夫訳ではどんな言葉づかいでしゃべっているのかな?楽しみだ。明日,さっそくジュンク堂に行ってみよう。


2012年8月6日月曜日

続・迪化街での出会い:「よそ者,若者,ばか者」篇

迪化街は歴史的な建築物の街であるとともに,生きた商売の街でもある。しかし,店の大部分は乾物や食料品の卸売り商だ。「物珍しくありがたいけれども,古くさい街」とでもいうべきか。私もこの数年はすっかり足が遠のいていた。

「小藝埕」と「民藝埕」は,そんな迪化街に新しい風を吹き込む商業スペースだ。ここには,大稲埕の歴史を受け継ぎつつ,この街に新しい台湾文化の息吹を吹き込もうという理念を共有する若い起業家たちの店が集まっている。

「民藝埕」の内部。うなぎの寝床式の伝統的な商家のつくり。

迪化街のランドマーク「ワトソン薬局」をリノベーションした華麗な建物には,4つのショップの連合体「小藝埕」が入っている。小さいながらも台湾の歴史・文芸関係の書籍が充実した書店「1920」(1F),台湾らしいモチーフや色づかいの布製品がそろった「印花楽」(1F),レトロなコーヒーハウスの「爐鍋珈琲」(2F),イベントスペースの「思劇場」(3F)である。



「小藝埕」が入っている「ワトソン薬房」ビル。



本屋「1920」の看板。この店名には象徴的な意味がこめられている(同店facebookのページより)

ここから歩いて1分弱の「民藝埕」は,台南幫の創設者・侯雨利が店を構えていたという由緒ある建物にある。陶磁器を扱う二店舗(「亞洲民藝」と「台客藍」)のほか,二階には茶芸館(「南街得意」)がある。この二つのスペースに入居している店の顔ぶれは,大稲埕の歴史資産ともいえる「布・茶・漢方・演劇・建築」の商いを強く意識したものだという。

民藝埕の入り口
案内してくれた友人と,「民藝埕」2Fの茶芸館に入ったら,運良く,この5つの店の生みの親でもある周奕成さんが居合わせて,お茶をのみながら話を聞くことができた。彼にはその後,さらに二度ほど話を聞いた。周さんが語ってくれた「小藝埕」「民藝埕」の創業の経緯と,彼の経営ビジョンを,以下に紹介しよう。(周さんが発表した文章 も参考にした)

周さんは,当初,出版を志して「世代文化」という会社を興したのだという。しかし,結局出版業には展開せず,台湾の歴史との接点をもち,かつクリエイティブな力に富む小型店舗の創業をプロデュースすることで,ここ大稲埕から,新しい社会文化運動を発信することをめざすこととなった。

大稲埕を創業の地に選んだのは,ここが,日本統治下の台湾にあって,新たな社会運動と文芸活動の中心地であったからであり,台湾人の「本土アイデンティティ」の揺りかごとなった街でもあるからだ,という。日本人植民者が多く住んだ「城内」地区に対して,大稲埕は「城外」にあたり,「本島人の街」でもあった。蒋渭水が台湾文化協会を設立したのも,「本島人」の企業家らや芸術家らが集まり住んだのも,ここ大稲埕であった。1947年に起きた悲劇・二二八事件の発端となった事件がこの地で起きたのも,決して偶然ではなかった。新しい社会文化運動をおこすなら,台湾の本土アイデンティティの形成と深く結びついたこの街から始めたかった,と周さんは語る。


周さんに話を聞いた「南街得意」は実に居心地のいい茶芸館だった。


 周さんがめざすのは,この町の歴史的な建物を活用しつつ,創業という営みを通じて,台湾の文化・価値を発信できるような「公共空間」を創り出すことだ。「公共空間」は「非営利空間」でなければいならないと考える人が多いけれども,それは正しくない。パリのカフェがそうであるように,国家や巨大資本から独立した人々に開かれた商業空間は,時に社会的な価値を作り出す場となる。台湾では多くの歴史的な建物が,閑古鳥のなく「何とかセンター」になったり,部外者が立ち入れないNGOのオフィススペースになったりして,非・公共空間となってしまっている。むしろ,長続きするかたちで歴史的な建物の価値を活用し,多くの人に開かれた創造力のある場にしていくために,「微型創業(マイクロ創業)」の力を結集したい。

周さんによると,迪化街は卸売業者が多い地域なので,貸店舗の区画面積が大きく,小さな起業家には出店が難しい地域なのだそうだ。周さんの会社は,店舗スペースを借り上げたうえで,これを小さな区画に分割して適切な賃料を設定し,それをまかなうに足る月々の売上額の目安を算出したうえで,出店希望者を募っている。また,多くの場合,周さんの会社がテナントへの出資もしてパートナーともなる。この地域の文化と歴史に深い関心を持ち,クリエイターとしての力量に富み,かつ,事業を成り立たせていくだけの経営の才覚も持ち合わせた起業家と出会うのは決して容易なことではないという。

それでも,この二つの商業スペースを訪れれば,周さんが,迪化街の伝統との接点を新しいかたちで提示できる優れた起業家の発掘に成功しつつあることを感じることができる。


琥珀色に輝く「東方美人茶」@「南街得意」
お茶請けも素晴らしく美味!

周さんの「インキュベーター」としての役割は,アーティストたちの創業支援にとどまらない。「マイクロ創業(微型創業)」の「上流部門」に位置するクリエイターたちも彼の支援対象だ。「民藝埕」の「舞台裏」にあたる2F-3Fが,その「最上流部門」の拠点となっている。

2Fにはいくつかの会議スペースがあって,ここではもっか,大稲埕のエリアの活性化に向けたイベントやタウン誌作りの計画が進んでいる。

3Fには,共同のオフィススペースがあり,舞台美術家,作家,グラフィックデザイナーといった人たちが机を並べている。賃料は無料。その代わり,月にひとつ,「小藝埕」「民藝埕」のためにちょっとした頼まれ仕事をする,という条件なのだそうだ。私の友人が仕事場を構えているのもこのスペースの一角である。

ここに集まる人たちは,自分のビジネスを通じて迪化街から新しいものを発信しようとしているだけではなく,街ぐるみのイベントや,タウン誌の発行等を企画して,大稲埕という地域を台湾中に向けて,さらには台湾を訪れる観光客に向けてアピールしようと様々な計画を練っている。10月にはなにやら面白いイベントも企画しているそうだ。


周さんのめざす運動の「最上流」にあたるクリエイターたちのオフィス。


「民藝埕」でのミーティングで語る周さん。
実は,周奕成さんは,台湾の政治の世界ではよく知られた人物であった。その話が出ると「もうよそうよ」とはにかむが,周さんは,台湾の民主化の歴史に重要な一頁を刻むこととなった1990年の学生運動のリーダーであった。また,陳水扁の政権成立へといたる1990年代後半の民進党の歩みに重要な役割を果たした人物でもあった。しかし陳政権成立後は政権に対して批判者となり,2007年には新党「第三社会党」を組織して選挙を戦ったこともあるという。

周さんが政治の道から起業家へと転身した経緯については,聞いていない。しかし,周さんの話を聞いていると,この人は「自分の活躍の舞台の大きさ」なんていうことにはまったく関心をもたない本物の理想家なのだなぁと,じんわり感動する。彼の静かな語り口からは「台湾のために新しいものを創り出したい」,「理念を共有する人の小さな輪を少しずつ広げることで,社会を変えていきたい」という思いが伝わってくる。

最後に,周さんに「大稲埕出身なんですか?」と聞いてみた。予想通り,「違う」という答えだった。

日本でも,地域をおもしろくするのは「よそ者,若者,ばか者」だという。地域の魅力を新しく見つけるのは,往々にして,外からやってきた若者だ。そしてリスクをとり,時に古くから住む地元の人たちとのあつれきをいとわず,新しいことを始める「ばか者」こそが,その地域をおもしろくしていくものだともいう。

迪化街をおもしろくするのもやはり,こんな素敵な「よそ者,若者,ばか者」たちなのだろう。