2013年12月31日火曜日

「内なる図書館」の国際貸借対照表

先週まで,10日間の台北に出張に行ってきた。滞在中の日曜,冷たい雨が降るなか,社会学研究所でオフィスメイトだった香港人政治学者のMingさんと,台北郊外の猫空にハイキングにでかけた。

久しぶりに会った友人と一緒に遊びに行くと,観光そっちのけで,おしゃべりに夢中になってしまうことがあるが,今回のMingさんとのハイキングもそうだった。ケーブルカーで山頂まで上がり,麓まで歩いて降りるというコースだったが,途中のランチタイムはもちろん,歩きながらも,ずーっとしゃべりっぱなし。

互いの研究のこと,台湾や香港の政治・社会運動のこと,日本で強まる排他的なナショナリズムのこと。最近みた映画やテレビの感想,香港人の台湾旅行ブームの背景。性別も,年齢も,生まれ育った社会も違うのに,なぜこんなに次々と話題が湧いて出てくるのだろう?

猫空の山。
Mingさんが,博学で好奇心旺盛で,話しやすい人柄だということが話の弾む最大の要因だが,アメリカでの3ヶ月の滞在を経て,香港の友人と話しながら改めて感じたのは,東アジアに生きる私たちが,国境を越えて一定の文化を共有しており,それが互いの「おもしろい」「美しい」「興味深い」といった感覚の共通基盤になっているということだ。

岡田曉生の『音楽の聴き方』(中公新書,2009年)に,バイヤールという哲学者の「内なる図書館」という言葉が紹介されていた。「内なる図書館」とは,私たちが読んだり,話を聞いたりしてきた本との出会いが,私たちの内側に作りだす読書の履歴のこと。視聴した映画やドラマ,音楽もその重要な一部だ。それは「少しずつわれわれ自身を作り上げてきたもの,もはや苦しみを感じさせることなしにはわれわれと切り離せないもの」。バイヤールの言葉に託して岡田氏は,私たちの感性はこの「内なる図書館」によって強く規定されているのだ,と言う。

Mingさんと話していると,彼と私の「内なる図書館」に様々な重なりがあることに驚かされる。小津安二郎,ホウ・シャオシェン,ウォン・カーウァイの映画。Mingさんが好きだという久石譲の映画音楽の話から,彼が最近見たという三浦しおんの『舟を編む』の映画の話,「篤姫」「半沢直樹」での堺雅人の演技の話,「半沢モノ」作者の池井戸潤の話へと,話題はどんどん展開する。

そんなローカルな雑談を香港の政治学者とできることにワクワクすると同時に,彼が日本を知っている度合いに比べて,私が香港を知っている度合いがずっと低いことを申し訳なく思う。

そう,台湾や香港の友人との「内なる図書館」の重なりは,えてして,相手方の圧倒的な輸入超過なのだ。ちょうど,日本人とアメリカ人のあいだの関係がひどく非対称なように。

台北市内某書店にて。上から『桐島,部活やめるってよ』『海辺のカフカ』『風がつよく吹いている』『舟を編む』等の翻訳もの。
 
同上。『関於莉莉周的一切』=『リリイ・シュシュの全て』。
私たちは小さい頃から,アメリカの映画やドラマをみ,アメリカ人の主人公に感情移入しながら大きくなってきた。かりに私と累積読書量が同じくらいのアメリカ人を見つけて,彼女ないし彼が読んだことのある日本(東アジアに広げてもいい)の小説と,私が読んだことのあるアメリカの小説の数を比べたら,たぶん私は数十倍,いや数百倍の輸入超過を誇れるだろう。

何せ,日本の町の本屋に行けば,推理・娯楽ものから,ホーソン,フィッツジェラルド,ヘミングェイ,フォークナー,パール・バック,カポーティ,ポール・オースターといった純文学系までの小説が山ほどあり,5-600円ほどで買えるのだ。けれども,アメリカの書店に行ってみると,アメリカ人が読んでいる日本の作家は,どうやらHaruki Murakamiぐらいらしいという現実。アメリカの対日文化収支は,信じられないほどの大黒字である!

とはいえ,それなりに小説好きで東アジアと縁の深い私が,台湾や香港の小説を申し訳程度にしか読んでいないことを思えば,そんな愚痴を言えた義理でもない。そして正直なところ,私も息抜き用の娯楽小説には,シャオシェンとかリーチュンといった登場人物より,クレアとかエリックに出てきてもらったほうがありがたい。東アジアのほうがずっと文化的に近いのに,欧米ものの小説や映画のほうにぐっと「親近感」を感じるというこの倒錯・・・。

私が,ドラマや小説を通じて,ファンになったり感情移入をしてきたアメリカ人の数は,私が実際に付き合いのあるアメリカ人の数の数百倍にものぼる。そうやって,一人一人の日本人の心の中にアメリカが蓄えてきた文化資産の量は膨大なものだ。かたや,日本人はアメリカ人のなかに,また東アジアの人々は日本人のなかに,「内なる図書館」の蔵書をほとんど有していない。それは,日本や東アジアの文化の質が低いからではなく,それぞれの国の政治経済的な影響圏の地政学が,教育や商業翻訳・出版といった制度を通じて,文化の流れの方向に強い影響を及ぼしてきたからなのなのだろう。

インターネットを通じて,音楽や映像がグローバルに共有されるようになったことで,この流れはどう変わっていくのだろう。若い世代の「内なる図書館」の国境を越えた相互貸借が,私のそれより少しでも対称なものになっていくことを願う。


2013年12月13日金曜日

掛け値なしの外国人:アメリカで英語を話す


台湾で行ったインタビューの一部が未整理のままになっていたので,まとめてテープ起こしをした。イヤホンを通してきく私の中国語は,ひどい日本語なまりだ。なのにどの録音でも,妙に自信をもって,堂々と中国語を話している。

ああ,台湾で中国語を話すのは,アメリカで英語を話すのより,ずっと楽で,ずっと楽しいことだったなあ。

とはいっても,私は,英語より中国語のほうが得意というわけでもない。聞き取りと日常会話は中国語のほうがはるかに楽だが,複雑な内容を話そうとすると,正規の教育を長く受けた英語を使うほうが,正確に伝達できると感じる。

それでも,アメリカで英語を話すことがひどく億劫に感じるのは,つまるところ,気持ちの問題だ。どうやら私は,台湾では「私は中国語をこれだけ話せるんです」というポジティブモードでいたのに,アメリカでは「英語をこの程度しか話せないんです」というネガティブモードになっているらしい。


El Cerritoの高台からサンフランシスコ湾を望む
 それは,英語を「話せるべき」普遍語として,中国語を「話せることが評価される」ローカル言語としてとらえている意識の現れである。また,「中級中国語を話せる日本人」が台湾で受ける扱いと,「中級英語しか話せないアジア人」がアメリカで受ける扱いの違いを反映したものでもある。

日本人が台湾で中国語を話すと,まずは「すごいね。うまいね」という反応が返ってくる。日本語を話す欧米人が日本で受ける扱いと同じだ。そのうち,一言話しただけで「日本人だね」とバレたり,「典型的な日本語なまりだ」と発音のまねをされてガックリきたりするようになるが,それでも,台湾人が拙い中国語を話す日本人に向ける優しい視線に変わりはない。

しかし,「中国語を話す日本人」に向けられる台湾の人たちの暖かさは,おそらく同じレベルの中国語を話すベトナムやインドネシア人労働者には向けられないものだろう。日本語を話す欧米人と,日本語を話す中国人やインド人への,日本人の対応にもまた明らかに違いがあると思う。

今,生活者としてアメリカで暮らす私に向けられるのは,後者のタイプの視線だ。郵便局の窓口やインターネットプロバイダーのサービスマンとのやりとりで,言葉につまったり,聞き返したりする時に感じるのは,「このアジア人の女,何いってるのかよく分からない」という,ふつうに冷たい異国人への視線である。 

そして,これがドイツやフランスの郵便局なら,「あなたの母語はローカル言語なので,私には分かりません」と思うのだろうが,英語だと「世界で通用するあなたの母語が下手でスミマセン」という卑屈な気分になるのが,我ながら腹ただしい。


冬のぶどう畑。ナパにて。
とはいえ,台湾で与えられてきた「日本人プレミアム」や,国際学会やコンファレンスで英語を話すときに与えられる「職業プレミアム」をはがされ,一人の外国人として,国際言語ヒエラルキーの頂点にあるアメリカで英語を話してみるというのは,なかなかに考えさせられる経験だ。

ふと,思考の道具として慣れ親しんできた日本語を禁止されたときの戦後の台湾人の苦しみや,日本統治期・国民党の権威主義体制下でミンナン語を劣った言語とされたことで誇りを傷つけられた人々,ミンナン語の世間話に混ざれない外省人の疎外感を思ったりもする。

話を聞く側の態度が,話す側の言語操作力にてきめんに影響することも,改めてよく分かった。相手がこちらの言葉を聞き取ろうと眉間に皺を寄せるだけで,話そうとする気力が萎えてしまったり,親切心から言葉を先取りして(←私はこれを日本語でよくやってしまう)かえって言いたいことが言えなくなってしまったり。

それにしても,いったいどうしたら,英語を特権的な国際通用価値としている枠組みからもう少し自由になれるのだろう。せめて,中国語を話すときのように「私は日本人ですが,勉強して,外国語である英語をこれだけ話せるんです」というポジティブモードにもう少し近づきたい。

まずは,英語をもっと普通の外国語としてとらえて,「すらすら話せない,すべてを聞き取れないことが恥ずかしい」という感情を乗り越えないと,アメリカ人と英語で話せることの純粋な喜びを味わえるようにはなれないのだろうなぁ。