この疑問をある台湾人に聞いてみたら,「大企業のなかで同じ鬱屈を抱えることになるアジア人同士だもの,特に不思議ではないよ」という答えが返ってきた。そうか,アメリカ社会のなかでは,インド人も台湾人も日本人も「アジア人」というカテゴリーで一括りにされ,同じような不満と希望を抱くのだなぁ。
シリコンバレーのスーパーに入ると,アジア人の圧倒的な多さに驚かされる |
ジョアンナ・シーの論文「差別を切り抜ける:シリコンバレーのジェンダー・エスニック戦略」(Johanna Shih(2006), "Circumventing Discrimination: Gender and Ethnic Strategies in Silicon Valley" Gender & Societry, 20(2), pp.177-206)を面白く読んだ。シリコンバレーのハイテク企業で働く白人女性,アジア人男性,アジア人女性,計54人のエンジニアへのインタビューをもとに,マイノリティのキャリア戦略を比較した分析だ。
シリコンバレーの労働市場に女性やアジア人が数多く参入できた要因は,この地の慢性的な人手不足にある。イノベーションの波がとだえず,常にエンジニアが不足しているシリコンバレー企業には,性別やエスニシティを理由に優秀な人材を採らないなどといっている余裕はない。
だが,採用のロジックと昇進登用のロジックは別だ。だから,女性もアジア人も,企業の内部昇進の梯子を登ろうとすると,しばしばold white boys' networkに行く手を阻まれる。特にアジア人は,技術職という枠におしこめられ,マネジメント層への登用から外される傾向がある。「ガラスの天井」に挫折した彼ら,彼女らが,差別を乗り越える戦略として選ぶのが,起業や転職だ。
転職・起業は,自分の能力を市場の評価にゆだねる行為である。そして,市場は企業組織に比べて,有能なマイノリティをフェアに扱うことが多い。実力のあるマイノリティを差別する管理職が多い企業は,優れた人材を失うことで,市場からの罰を受ける。また,女性/アジア人の部下の抜擢には消極的な経営者でも,女性/アジア人が経営する有望なスタートアップ企業への出資・融資や取引といった市場行為を拒むということは多くないだろう。そんなことをすれば自分が損をするし,人は,一緒に働くことになる仲間を抜擢する時とは違って,市場取引の相手に対しては,自分との共通性ではなく,プレイヤーとしての能力の高さを求めるからだ。このことは,南場智子著『不格好経営 チームDeNaの挑戦』(日本経済新聞社,2013年)を読んだ時に感じたこととも幾分重なる。
むろん,市場が差別を切り抜ける手段となりうるのは,シリコンバレー特有の事情--エンジニアの需給が逼迫していること,個人の能力が測りやすい職業であること,起業インフラが整っていること--があってのことだ。それは,不況になったり能力不足とみなさればいつ解雇されるか分からないという不安定さの裏返しでもある。それでも,転職市場が整った社会では,差別や「ブラック企業」といった,組織のダークサイドはそれ相応に抑えられるように思う。
大企業のオフィスといえばこんな感じ。Ciscoの巨大キャンパスのごく一部。 |
スタートアップ企業のオフィスは,こんな感じ。 |
このほか,シーの論文で興味深かったのは,「差別を乗り越える戦略として,アジア人は起業を,女性はより平等な職場への転職を志向する」という指摘だ。これは,私が聞き取り調査を通じて見聞きしてきたこと一致する。シリコンバレーのアジア人は,母国に開発拠点をおいたり,母国企業と提携したりすることで,母国との経済的なつながりを競争力につなげるケースが多い。「台湾人,中国人,インド人」といった組み合わせでの起業が多々見られるのは,それぞれの母国とのつながりという資源の持ち寄りができるからだ。
しかし,女性にはそのようなかたちで活用できる明確な希少資源がない。いや,ないのではなく,活用する方策がまだ見つかっていないだけなのかもしれない。アジア人だって,この地の労働市場に参入した頃は,母国とのリンケージが起業家としての自らの強みにつながるとは思っていなかったはずだ。
5年後,10年後のシリコンバレーのジェンダー地図,エスニック地図はいったいどうなっているのだろう?ウン十年後にまたシリコンバレーに調査にきて,「以前は,ここでも女性の起業家は少なかった。本当に変ったわねぇ」なんていう昔話を,若いアジア人女性起業家を相手にできたらすてきだなぁ。