2014年2月22日土曜日

シリコンバレーにみる「マイノリティと市場vs組織」:女性,アジア人の転職・起業戦略

この数ヶ月,シリコンバレーで起業した台湾人エンジニアへのインタビューをしている。意外なのが,台湾人とインド人の共同創業の事例が広く見られることだ。特に相性がいいとも思えない組み合わせなのに,なぜだろう? 

この疑問をある台湾人に聞いてみたら,「大企業のなかで同じ鬱屈を抱えることになるアジア人同士だもの,特に不思議ではないよ」という答えが返ってきた。そうか,アメリカ社会のなかでは,インド人も台湾人も日本人も「アジア人」というカテゴリーで一括りにされ,同じような不満と希望を抱くのだなぁ。

シリコンバレーのスーパーに入ると,アジア人の圧倒的な多さに驚かされる

ジョアンナ・シーの論文「差別を切り抜ける:シリコンバレーのジェンダー・エスニック戦略」(Johanna Shih(2006), "Circumventing Discrimination: Gender and Ethnic Strategies in Silicon Valley" Gender & Societry, 20(2), pp.177-206)を面白く読んだ。シリコンバレーのハイテク企業で働く白人女性,アジア人男性,アジア人女性,計54人のエンジニアへのインタビューをもとに,マイノリティのキャリア戦略を比較した分析だ。  

シリコンバレーの労働市場に女性やアジア人が数多く参入できた要因は,この地の慢性的な人手不足にある。イノベーションの波がとだえず,常にエンジニアが不足しているシリコンバレー企業には,性別やエスニシティを理由に優秀な人材を採らないなどといっている余裕はない。

だが,採用のロジックと昇進登用のロジックは別だ。だから,女性もアジア人も,企業の内部昇進の梯子を登ろうとすると,しばしばold white boys' networkに行く手を阻まれる。特にアジア人は,技術職という枠におしこめられ,マネジメント層への登用から外される傾向がある。「ガラスの天井」に挫折した彼ら,彼女らが,差別を乗り越える戦略として選ぶのが,起業や転職だ。

転職・起業は,自分の能力を市場の評価にゆだねる行為である。そして,市場は企業組織に比べて,有能なマイノリティをフェアに扱うことが多い。実力のあるマイノリティを差別する管理職が多い企業は,優れた人材を失うことで,市場からの罰を受ける。また,女性/アジア人の部下の抜擢には消極的な経営者でも,女性/アジア人が経営する有望なスタートアップ企業への出資・融資や取引といった市場行為を拒むということは多くないだろう。そんなことをすれば自分が損をするし,人は,一緒に働くことになる仲間を抜擢する時とは違って,市場取引の相手に対しては,自分との共通性ではなく,プレイヤーとしての能力の高さを求めるからだ。このことは,南場智子著『不格好経営 チームDeNaの挑戦』(日本経済新聞社,2013年)を読んだ時に感じたこととも幾分重なる。

むろん,市場が差別を切り抜ける手段となりうるのは,シリコンバレー特有の事情--エンジニアの需給が逼迫していること,個人の能力が測りやすい職業であること,起業インフラが整っていること--があってのことだ。それは,不況になったり能力不足とみなさればいつ解雇されるか分からないという不安定さの裏返しでもある。それでも,転職市場が整った社会では,差別や「ブラック企業」といった,組織のダークサイドはそれ相応に抑えられるように思う。

大企業のオフィスといえばこんな感じ。Ciscoの巨大キャンパスのごく一部。

スタートアップ企業のオフィスは,こんな感じ。

このほか,シーの論文で興味深かったのは,「差別を乗り越える戦略として,アジア人は起業を,女性はより平等な職場への転職を志向する」という指摘だ。これは,私が聞き取り調査を通じて見聞きしてきたこと一致する。シリコンバレーのアジア人は,母国に開発拠点をおいたり,母国企業と提携したりすることで,母国との経済的なつながりを競争力につなげるケースが多い。「台湾人,中国人,インド人」といった組み合わせでの起業が多々見られるのは,それぞれの母国とのつながりという資源の持ち寄りができるからだ。

しかし,女性にはそのようなかたちで活用できる明確な希少資源がない。いや,ないのではなく,活用する方策がまだ見つかっていないだけなのかもしれない。アジア人だって,この地の労働市場に参入した頃は,母国とのリンケージが起業家としての自らの強みにつながるとは思っていなかったはずだ。

5年後,10年後のシリコンバレーのジェンダー地図,エスニック地図はいったいどうなっているのだろう?ウン十年後にまたシリコンバレーに調査にきて,「以前は,ここでも女性の起業家は少なかった。本当に変ったわねぇ」なんていう昔話を,若いアジア人女性起業家を相手にできたらすてきだなぁ。

2014年1月13日月曜日

台湾とサンドバーグに学ぶ「一歩,前へ」

在外研究に出る前と今の自分を比べると,私は以前よりもgender sensitiveになったように思う。そのきっかけは台湾での経験にあるのだ,と,『LEAN IN:女性,仕事,リーダーへの意欲』(シェリル・サンドバーグ著,村井章子訳,日本経済新聞社,2013年)を読みながら思った。

著者のサンドバーグはFecebookのCOO。

台湾では,弁護士・医師といったライセンス型専門職はもちろん,政治家や役人,大学教員に占める女性の比率も相対的に高い。企業は男社会だが,ハイテク企業でも財務・人事畑出身の女性役員は珍しくないし,日本では男の世界とされる営業部門でも,女性が活躍している。

そんな台湾で感じたのが,「同じ場に同性がたくさんいるということは,女性一人一人を自由にし,勇気づけ,発憤させてくれるものだなぁ」ということだった。マイノリティがマイノリティでなくなる(=数が十分にいる)ということは,当事者の意識や行動を変え,その能力を発揮させる効果を持つものなのだ。

第1に,会合の場に女性が増え,「女性である」ことが支配的属性となる状況から解放されると,分からないことを聞く,不満や異なる意見を表明する,といった場面で,プレッシャーから解き放たれ,自分の考えをより自然に,積極的に主張できる。

私は,仕事上の初対面の集まりで「紅一,二点」下に置かれると,緊張する。愚かな質問をすると,「Kさんは外しているな」では済まず,「女性は人の話が聞けないな」と思われてしまうのではないか,というプレッシャーを感じる。不満を表明する時も「女は感情的だ」と思われるのはイヤだ,でも御しやすいと思われるのもシャクだ,というジレンマに陥って,妙にぎこちなくなることがある。自分の言動が「女性」というラベルと結びつけられるのではないかと不安で,緊張してしまうのだ。

私を知る男性からは「あなたがそんなに繊細だったとは知らなかった」という声が聞えてきそうだし,私も日本にいる時は,そんなプレッシャーを意識したことはなかった。でも,荷物を背中から下ろしてはじめてその重さに気づくように,台湾やアメリカで,自分の支配的属性が「女性」から「外国人」になる状況に身を置いて,「ああ,このほうがだいぶ楽だ」と気がついた。

第2に,集団内での女性の数が増えると,女性どうしの関係がぐっと楽になる。当たり前のことだが,「紅二,三点」の女同士が常に仲良くなれるとは限らない。けれども男性から注目されている状況下で女同士が対立すると,厄介なことになる。少数者どうしであることによって,女どうしの関係が難しくなってしまうことがあるのだ。

第3に,上の世代・職階に同性のロールモデルがいることの心理的な効果は絶大だ。私が通った大学の経済学部には,女性の教員は一人もいなかった。後から思うと,そのことは,私の進路選択に一定の影響を及ぼしたと思う。他方,台湾大学の社会学部には多数の女性教授がいるし,台湾社会学会,台湾STS学会の現在の会長はいずれも女性だ。そのことが取り立てて話題にもならないことに,「ああ,これは女子学生に励みになるなぁ」と感じた。


2012年の総統選挙を戦った民進党・蔡英文氏(Taiwanus.netより)。偉人の娘でも妻でもなく,実力と人柄で高い人気を誇る政治家だ。

それにしても,サンドバーグが指摘しているように,女性が職場でジェンダーを語ることのなんと難しいことか。「弱音を吐いているように見えるのではないか」「特別待遇を要求していると思われるのではないか」・・・・(pp.202-203)。女性がジェンダーを話題にする時には,まずこんな不安を乗り越えなければならない。

さらに厄介なことに,女性が思いきってジェンダーを語っても,男も女もそれを歓迎しない-ーいやむしろ嫌われてしまう可能性が高い。そして,嫌われることのペナルティは,少数者である女性にとって男性よりずっと重い。男性から「被害者意識の強いやっかいな人」扱いされるリスクを冒すより,きちんとした仕事をすることで周りから評価されるよう頑張ろう,と思うのは自然の成り行きだ。(*ちなみに,女性が「良い仕事をしていれば誰かが気づいて冠をかぶせてくれると期待する」ことは「ティアラ・シンドローム」と呼ばれるそうだが,そういうことは現実の社会ではめったに起きないそうだ(p.90)・・・・トホホ)

私自身,「研究者の世界は,実力社会だ」「女だから軽くあしらわれたと思うなんて,自分の実力の低さの言い訳だ」と思ってきた。私がジェンダーの問題を語るなんておこがましいとか,紅一点の会合で緊張するなんて言うのはみっともないとか,日本のなかでは十分に恵まれた職場環境にあるのに,女性であることの困難を語って,男性を非難していると思われるのじゃないかとか,様々な思いが邪魔をして,ジェンダーの問題について文章を書こうと思ったことはなかった。

けれども,文系研究者という私の職業は確かに性差による制約が相対的に小さいものだが,その職業にあってすら,私が「女性研究者」というカテゴリーから自由だったことは一日もない。

Facebookの標語"怖がらなければ何をする?"という言葉をサンドバーグは女性に贈る。
 


私は,外からみれば,十分に図々しく前のめりに見えるかもしれないが,サンドバーグが指摘する「女性の内なる障壁」「自分の内のネガティブな声」は,私のなかにも間違いなくある。「女がむやみに積極的なのは見苦しい」「野心的だと思われたら嫌われる」「力量以上のことを引き受けて失敗したら,周りの女性の評価が下がるかもしれない」といった恐れの感情だ。サンドバーグは,そういう小さな恐れの感情の積み重ねが,女性の職業上の成長を制約することを指摘する。

台湾やアメリカで知ったのは,社会・組織の重要な場面でリーダーシップをとる女性が増え,職場の様々な場面での男女比が均衡することで,女性一人一人が内側に抱えるそういう恐れの感情が,少しずつ和らぎうるということだ。そして,「女性であること」が仕事の上での意識や行動に与える影響を自分の問題として語る女性が増えれば,ジェンダーの問題はもっと語りやすくなるということだ。

日本から遠く離れた地で,サンドバーグの本の思いがけない思慮深さと暖かさに感銘を受けた今。今,このことについて書かなければ,私がこの問題について書くことはきっともうないだろう。そんな気持ちになり,私なりの「一歩,前へ(Lean in)」の思いを込めて,この文章を書いてみた。

2013年12月31日火曜日

「内なる図書館」の国際貸借対照表

先週まで,10日間の台北に出張に行ってきた。滞在中の日曜,冷たい雨が降るなか,社会学研究所でオフィスメイトだった香港人政治学者のMingさんと,台北郊外の猫空にハイキングにでかけた。

久しぶりに会った友人と一緒に遊びに行くと,観光そっちのけで,おしゃべりに夢中になってしまうことがあるが,今回のMingさんとのハイキングもそうだった。ケーブルカーで山頂まで上がり,麓まで歩いて降りるというコースだったが,途中のランチタイムはもちろん,歩きながらも,ずーっとしゃべりっぱなし。

互いの研究のこと,台湾や香港の政治・社会運動のこと,日本で強まる排他的なナショナリズムのこと。最近みた映画やテレビの感想,香港人の台湾旅行ブームの背景。性別も,年齢も,生まれ育った社会も違うのに,なぜこんなに次々と話題が湧いて出てくるのだろう?

猫空の山。
Mingさんが,博学で好奇心旺盛で,話しやすい人柄だということが話の弾む最大の要因だが,アメリカでの3ヶ月の滞在を経て,香港の友人と話しながら改めて感じたのは,東アジアに生きる私たちが,国境を越えて一定の文化を共有しており,それが互いの「おもしろい」「美しい」「興味深い」といった感覚の共通基盤になっているということだ。

岡田曉生の『音楽の聴き方』(中公新書,2009年)に,バイヤールという哲学者の「内なる図書館」という言葉が紹介されていた。「内なる図書館」とは,私たちが読んだり,話を聞いたりしてきた本との出会いが,私たちの内側に作りだす読書の履歴のこと。視聴した映画やドラマ,音楽もその重要な一部だ。それは「少しずつわれわれ自身を作り上げてきたもの,もはや苦しみを感じさせることなしにはわれわれと切り離せないもの」。バイヤールの言葉に託して岡田氏は,私たちの感性はこの「内なる図書館」によって強く規定されているのだ,と言う。

Mingさんと話していると,彼と私の「内なる図書館」に様々な重なりがあることに驚かされる。小津安二郎,ホウ・シャオシェン,ウォン・カーウァイの映画。Mingさんが好きだという久石譲の映画音楽の話から,彼が最近見たという三浦しおんの『舟を編む』の映画の話,「篤姫」「半沢直樹」での堺雅人の演技の話,「半沢モノ」作者の池井戸潤の話へと,話題はどんどん展開する。

そんなローカルな雑談を香港の政治学者とできることにワクワクすると同時に,彼が日本を知っている度合いに比べて,私が香港を知っている度合いがずっと低いことを申し訳なく思う。

そう,台湾や香港の友人との「内なる図書館」の重なりは,えてして,相手方の圧倒的な輸入超過なのだ。ちょうど,日本人とアメリカ人のあいだの関係がひどく非対称なように。

台北市内某書店にて。上から『桐島,部活やめるってよ』『海辺のカフカ』『風がつよく吹いている』『舟を編む』等の翻訳もの。
 
同上。『関於莉莉周的一切』=『リリイ・シュシュの全て』。
私たちは小さい頃から,アメリカの映画やドラマをみ,アメリカ人の主人公に感情移入しながら大きくなってきた。かりに私と累積読書量が同じくらいのアメリカ人を見つけて,彼女ないし彼が読んだことのある日本(東アジアに広げてもいい)の小説と,私が読んだことのあるアメリカの小説の数を比べたら,たぶん私は数十倍,いや数百倍の輸入超過を誇れるだろう。

何せ,日本の町の本屋に行けば,推理・娯楽ものから,ホーソン,フィッツジェラルド,ヘミングェイ,フォークナー,パール・バック,カポーティ,ポール・オースターといった純文学系までの小説が山ほどあり,5-600円ほどで買えるのだ。けれども,アメリカの書店に行ってみると,アメリカ人が読んでいる日本の作家は,どうやらHaruki Murakamiぐらいらしいという現実。アメリカの対日文化収支は,信じられないほどの大黒字である!

とはいえ,それなりに小説好きで東アジアと縁の深い私が,台湾や香港の小説を申し訳程度にしか読んでいないことを思えば,そんな愚痴を言えた義理でもない。そして正直なところ,私も息抜き用の娯楽小説には,シャオシェンとかリーチュンといった登場人物より,クレアとかエリックに出てきてもらったほうがありがたい。東アジアのほうがずっと文化的に近いのに,欧米ものの小説や映画のほうにぐっと「親近感」を感じるというこの倒錯・・・。

私が,ドラマや小説を通じて,ファンになったり感情移入をしてきたアメリカ人の数は,私が実際に付き合いのあるアメリカ人の数の数百倍にものぼる。そうやって,一人一人の日本人の心の中にアメリカが蓄えてきた文化資産の量は膨大なものだ。かたや,日本人はアメリカ人のなかに,また東アジアの人々は日本人のなかに,「内なる図書館」の蔵書をほとんど有していない。それは,日本や東アジアの文化の質が低いからではなく,それぞれの国の政治経済的な影響圏の地政学が,教育や商業翻訳・出版といった制度を通じて,文化の流れの方向に強い影響を及ぼしてきたからなのなのだろう。

インターネットを通じて,音楽や映像がグローバルに共有されるようになったことで,この流れはどう変わっていくのだろう。若い世代の「内なる図書館」の国境を越えた相互貸借が,私のそれより少しでも対称なものになっていくことを願う。


2013年12月13日金曜日

掛け値なしの外国人:アメリカで英語を話す


台湾で行ったインタビューの一部が未整理のままになっていたので,まとめてテープ起こしをした。イヤホンを通してきく私の中国語は,ひどい日本語なまりだ。なのにどの録音でも,妙に自信をもって,堂々と中国語を話している。

ああ,台湾で中国語を話すのは,アメリカで英語を話すのより,ずっと楽で,ずっと楽しいことだったなあ。

とはいっても,私は,英語より中国語のほうが得意というわけでもない。聞き取りと日常会話は中国語のほうがはるかに楽だが,複雑な内容を話そうとすると,正規の教育を長く受けた英語を使うほうが,正確に伝達できると感じる。

それでも,アメリカで英語を話すことがひどく億劫に感じるのは,つまるところ,気持ちの問題だ。どうやら私は,台湾では「私は中国語をこれだけ話せるんです」というポジティブモードでいたのに,アメリカでは「英語をこの程度しか話せないんです」というネガティブモードになっているらしい。


El Cerritoの高台からサンフランシスコ湾を望む
 それは,英語を「話せるべき」普遍語として,中国語を「話せることが評価される」ローカル言語としてとらえている意識の現れである。また,「中級中国語を話せる日本人」が台湾で受ける扱いと,「中級英語しか話せないアジア人」がアメリカで受ける扱いの違いを反映したものでもある。

日本人が台湾で中国語を話すと,まずは「すごいね。うまいね」という反応が返ってくる。日本語を話す欧米人が日本で受ける扱いと同じだ。そのうち,一言話しただけで「日本人だね」とバレたり,「典型的な日本語なまりだ」と発音のまねをされてガックリきたりするようになるが,それでも,台湾人が拙い中国語を話す日本人に向ける優しい視線に変わりはない。

しかし,「中国語を話す日本人」に向けられる台湾の人たちの暖かさは,おそらく同じレベルの中国語を話すベトナムやインドネシア人労働者には向けられないものだろう。日本語を話す欧米人と,日本語を話す中国人やインド人への,日本人の対応にもまた明らかに違いがあると思う。

今,生活者としてアメリカで暮らす私に向けられるのは,後者のタイプの視線だ。郵便局の窓口やインターネットプロバイダーのサービスマンとのやりとりで,言葉につまったり,聞き返したりする時に感じるのは,「このアジア人の女,何いってるのかよく分からない」という,ふつうに冷たい異国人への視線である。 

そして,これがドイツやフランスの郵便局なら,「あなたの母語はローカル言語なので,私には分かりません」と思うのだろうが,英語だと「世界で通用するあなたの母語が下手でスミマセン」という卑屈な気分になるのが,我ながら腹ただしい。


冬のぶどう畑。ナパにて。
とはいえ,台湾で与えられてきた「日本人プレミアム」や,国際学会やコンファレンスで英語を話すときに与えられる「職業プレミアム」をはがされ,一人の外国人として,国際言語ヒエラルキーの頂点にあるアメリカで英語を話してみるというのは,なかなかに考えさせられる経験だ。

ふと,思考の道具として慣れ親しんできた日本語を禁止されたときの戦後の台湾人の苦しみや,日本統治期・国民党の権威主義体制下でミンナン語を劣った言語とされたことで誇りを傷つけられた人々,ミンナン語の世間話に混ざれない外省人の疎外感を思ったりもする。

話を聞く側の態度が,話す側の言語操作力にてきめんに影響することも,改めてよく分かった。相手がこちらの言葉を聞き取ろうと眉間に皺を寄せるだけで,話そうとする気力が萎えてしまったり,親切心から言葉を先取りして(←私はこれを日本語でよくやってしまう)かえって言いたいことが言えなくなってしまったり。

それにしても,いったいどうしたら,英語を特権的な国際通用価値としている枠組みからもう少し自由になれるのだろう。せめて,中国語を話すときのように「私は日本人ですが,勉強して,外国語である英語をこれだけ話せるんです」というポジティブモードにもう少し近づきたい。

まずは,英語をもっと普通の外国語としてとらえて,「すらすら話せない,すべてを聞き取れないことが恥ずかしい」という感情を乗り越えないと,アメリカ人と英語で話せることの純粋な喜びを味わえるようにはなれないのだろうなぁ。

2013年11月17日日曜日

音楽家が映し出す社会,社会が映し出す音楽という営み:吉原真里『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか?』を読む

吉原真里『「アジア人」はいかにしてクラシック音楽家になったのか? 人種・ジェンダー・文化資本』(アルテス出版,2013年,原著 M. Yoshihara,Musicians from Different Shore: Asians and Asian American in Classical Music, Temple Univ. Press, 2007)を大変おもしろく読んだ。

本を読む楽しさには幾通りかあって,深く頷きながらぐんぐん読み進めるときに感じる読書の快感と,要所要所で立ち止まり,著者に反論したり説得されたりしながら読み進めていくときに感じる読書の手応えがある。本書が与えてくれるのは後者のタイプの「骨を折る読書の喜び」だ。決して読みやすい本ではないけれども,最後の頁を閉じたときに,ああ,新しい世界と出会えたな,と思える本だ。


この本は,「アメリカ合衆国で西洋クラシック音楽に携わるアジア人やアジア系アメリカ人について,歴史的・文化的・民族誌的に研究したもの」である(p.25)。主な素材が音楽家へのインタビューということもあって,私はこの本を文化史の本として読み始めた。けれどもこの本は,私に二つの予期せぬ出会いを運んできてくれた。第1に,アジア人音楽家という存在に映るアメリカ社会との出会いだ。

著者は,今日のアメリカで活躍するアジア人音楽家たちの生い立ちとキャリア形成,自己認識と職業観といった内面世界を描きだすことを通じて,彼ら・彼女らという鏡に映し出されるアメリカ社会のありよう-具体的には,人種とジェンダーと経済(報酬のメカニズム,出身階層,階層帰属意識といった広義の"経済")の絡まり合いを見事に描きだしている。

実は私は,最初の数章を読みながら,本書が,著者自らその多様性を指摘しているアジア人を,「人種」として捉えていることに強い違和感を覚えた。「人種」という概念が厳しい批判にさらされ,否定されて久しいのに,なぜ著者はわざわざこの言葉を使うのだろう?と。

しかし読み進めていけば分かるように,著者が問題化しているのは,多様な背景を持つ東アジア系の人々が「Asianという人種」としてひとからげに捉えられるアメリカ社会の文脈だ。アメリカでは,"白人"と"黒人"という最も鮮明な"人種"間の対立を基軸として,先住民や複数の新移民グループが配置されるかたちで,"人種"間の緊張関係が展開してきた。このなかで,東アジア人というニューカマーは,集団的に貼り付けられた「アジア人」というカテゴリーを生きざるをえない。そのカテゴリー性は,「西洋」の伝統が重視されるクラシック音楽の世界で,また聴衆という顧客を獲得する過程で外見やイメージが大きく作用する演奏家の世界で,ことさら大きな影響を持つ。

さらにこの「人種」変数は,ジェンダーという変数と結びつくことで,個々の演奏家の立ち位置と内面を強く規定する。その点で,3章の「アジア人音楽家のビジュアルマーケティング」の節は,音楽という産業セクターにおけるraceとジェンダーの相互作用を描いていて,きわめて興味深い。

アジア系女性演奏家のなかには,自らの容姿を戦略的な「商材」にする人もいれば,アジア人女性へのステレオタイプを強化しかねないふるまいをする同性への強い不快感を抱く人もいる。いずれも女性の職業世界で広く見られる現象だが,クラシックの演奏家にとってのステレオタイプの有用性と有害性は,他の専門職のアジア人女性にとってとは比べものにならないほど大きい。アジア人女性演奏家はしばしば,その名前と外見によって,"聴く"以上に性的に想像され,見られる存在となるからだ。

サンフランシスコは西洋と東洋の出会う町。チャイナタウンとイタリア人街の境目にて。


この本が私に運んできてくれた第2の出会いは,西洋クラシック音楽の演奏という,私にとってはえらく不可解な世界との再会だ。

私は,クラシック音楽好きの両親のもとに生まれた。熱心にピアノを勉強していた母の方針で,3歳過ぎからピアノの英才教育を受け,中学3年の時にあっさり挫折した(実際にはそのずっと前から挫折していたのだが,やめられなかった)。そして,嫌々ピアノを練習していたあの頃から,クラシック音楽を聴く楽しみを知った今にいたるまで,私にはクラシック音楽の演奏というものの面白さが一向に分からない。

そもそもクラシック音楽の演奏とは,どこまでが再現行為で,どこからが表現行為なのか?あらゆる芸術分野で日々新しい作品が生み出されているなかで,昔の西洋の偉人がお残しになった少数の名曲を演奏し,鑑賞しつづけるという保守性は一体何なのか?作曲家の意図という誰にも知り得ないものを解釈しようとする秘密結社的な体質も,「おけいこ」「おさらい」「お月謝」といったピアノ界の住人の言葉使いも好きになれなかった。

私が長いこと抱いてきたそんな違和感と反発は,ここ数年,趣味で音楽を続けている友人の話などを聞くうちに少しずつほぐれてきたのだが,その「ほぐれ」のきっかけの一つを与えてくれたのは,実は,本書の著者である。著者が東京でピアノリサイタルを開いたとき(←ここまで書きそびれていたが,私は著者の大学時代の同級生である),「私らしい演奏をしたい」という表現を度々用いるのを聞いて,「えっ?クラシックの演奏で『私らしさ』というものを追求していいの?」とびっくりしたのだ。

本書は,クラシックの演奏における自己表現の問題を直接考察しているわけではない。けれども,第5章でのクラシック音楽の演奏における「真正性authenticity」をめぐる考察は,この問題を私なりに考えるための手がかりを与えてくれた。この章で著者は,「真正性」をめぐる音楽家たちの言葉を紹介しているが,ここから見えてくるのは,音楽のもつ超時代・超地域的な可能性と,特定の文化や個人の経験にねざす固有性とのあいだで揺れ動く音楽家たちの姿だ。

彼ら・彼女らの言葉と,著者の思考に刺激されて,私のなかでも,いろいろな思いがわき上がってくる。私は,何人かの音楽家が「血」「魂」「本能的」といった言葉で強調する,作曲家と演奏家の文化的な結びつきを絶対視する議論には,「ちょっとなー」と引いてしまう。他方で,演奏が,個人の表現行為であるなら,広東語アクセントのショパン(p.252)や演歌風のシューベルトがあったっていいじゃないか,とも思う。

そして,演奏家の言葉に刺激されて,答えのでるはずのない「真正性」についてあれこれ思いをめぐらすなかで,彼ら・彼女らの「不可解さ」への違和感が少しずつほぐれていき,彼ら・彼女らが追求しているものの一端に触れることができたのを感じる。音楽という,とかく「言葉にならないもの」として神秘化される傾向の高い営み(岡田曉生『音楽の聴き方』中公新書,2009年)への窓を,言葉の世界が少しだけ開けてくれることを感じる瞬間だ。

サンフランシスコのチャイナタウンにて。
最後に,いくつかのコメントを,ばらばらと。

本書を読むと,英語と日本語の学術書のスタイルの違いがよく分かる。日本語の叙述スタイルが,材料を分厚く積み上げて,書き手の結論を読み手にじわじわと共有していくプロセスをたどるの対して,英語の学術書では「これが結論です」という著者のメッセージが,最初にドーンと示される。その違いをよく知っているはずの私でも,1章で,アジアの西洋音楽受容史に絡めて,西洋帝国主義,近代化といった生硬なbig wordsがどんどん出てくるのには結構面食らった。しかし,第2章以降でインタビュー相手たちが登場してくるとがぜん叙述が生き生きしたものになる。これからお読みになる方は,どうぞ,冒頭部だけで挫折しませんよう。

「もっと分析してほしかった」と思うこともいくつかあるが,その中から一点だけあげたい。歴史的・文化的起源における「正統性」を重んじる西洋クラシック音楽の世界でのアメリカの位置づけはもっと丁寧に論じるべきだったと思う。音楽における「本場主義」のなかでは,アメリだっても,西洋音楽の歴史的背景から切り離された根の浅い新興国とみなされているに違いない。クラシック音楽における「真正性」争いの勢力図のなかで,アメリカが占める位置づけを明示化することは,この国を舞台とするアジア人音楽家の姿を描きだすための前提として必要な作業だったのではないか。

それから,技術的な問題を一つ。本書に登場する台湾人,香港人が自らを語るなかで用いた"Chinese"の語は,「中国人」ではなく「華人」と訳するほうがよかったと思う。個々の演奏家の帰属意識を知る由はないが,台湾人や香港人が英語で自らに言及する時に用いる"Chinese"の語は,政治的含意を持つ「中国人」という概念より,文化・歴史を緩やかに共有する集団としての「華人」概念により近いと思われるからだ。

音楽家が映し出す社会の力学と構造。社会というプリズムを通してみたときにくっきりと立ち上がる音楽家たちの内面。優れた学術書の常で,本書は,読み手に,マクロとミクロの両方の世界の行き来を体験させてくれるスリリングな書物だ。

私も,専門分野は違うけれど,いつの日にか,こんな学術書を書いてみたいなあ。

2013年10月31日木曜日

本が生きている図書館:UCバークレーのライブラリーツアー

本ブログのバークレー篇を始めるにあたり,心に決めたことのひとつが,「アメリカの大学ってこんなにすごいんです,進んでいるんです!」といった調子の記事はなるだけ書かないようにしよう,ということだった。

何せアメリカは,世界の覇権国家である。世界中から人材と資源を吸い寄せる仕組みをつくり,さらに同盟国の首脳の電話まで盗聴して,情報を集めまくる国なのである。その国の知識生産システムの最前線にある研究大学が「すごい」のは当然のことだ。社会科学のアメリカナイゼーションの負の側面を棚に上げて,その先進性をほめたたえるようなことはしたくない。と思っていたのだが・・・

やはり,すごいものは,すごい。それが,UCバークレーの図書館を見学して抱いた感想だった。

Doe Libraryの閲覧室の一部。
10月半ば,勤務先の図書館のライブラリアンたちが,米国の図書館サービスの調査のため,UCバークレーに来た。貴重なチャンスなので,同僚たちの図書館視察に同行させてもらった。案内してくださったのは,東南アジア関係の書籍を専門にするバージニアさん。

午前中は,朝9時からのオリエンテーションのあと,大学の中央図書館的な位置づけのDoe/Moffitt LibraryとBancroft Libraryを見学。午後は,部局ごとの図書館の事例として,Thomas J. Long Business Library,Environmental Design Library, Marian Koshland Bioscience&Natural Resources Libraryを視察。その後,2時間の質疑応答の時間をはさんで,East Asian Libraryを見学。まる1日をかけて,UCバークレーの図書館をたっぷり見せていただいたが,これでも全体像のほんの一部に過ぎないのだ。

強く印象に残ったのは以下の点だ。

第1に,図書館の質量両面での充実ぶりだ。電子化とジャーナル中心主義を牽引するアメリカの大学が,書籍の収集・整理に莫大な予算と人材を投入し続けてきたことに驚いた。英語書籍の蔵書の文脈はよく分からないのだが,東アジア図書館の書籍,雑誌,新聞のコレクションは,とにかくすごい(*少なくとも私に判断のつく日・中資料については)。「誰がどうやってこれを集めたのか?」と絶句した。

第2に,図書館が,大学の中核的存在としての位置づけを獲得していることだ。それは,キャンパスの中の図書館の立地にも,図書館を居心地がよく人が集まる空間にするために費やされているふんだんなお金と努力にも,よく現われている。東アジア図書館やビジネススクール図書館では,小さなセミナールーム(*部屋ごとに,寄付者の名前が付けられている)がたくさん設けらていて,ガラスの壁の向こうで,読書会や討論会が行われている様子が見えた。学生の足を図書館に向けさせるきっかけにもなるし,静寂を乱すことなく,人の活気を図書館に呼び込む仕掛けでもある。

第3に,図書館が自らの利用価値や所蔵資料の価値をアピールするため,様々なメッセージを強く発信していることだ。それを象徴するのが,中央図書館でも部局図書館でも充実していた各種の展示だ。

環境デザイン図書館の閲覧室の中央ディスプレイ。

Doe Libraryの廊下の展示。

ライブラリアンがこういった展示を企画し,発信すると,図書館がグンと生き生きしてくる。Bancroft Libraryの一室では漫画や風刺画の特別展をやっていたが,これは毎回,展示内容にあわせて,壁の色から照明までを一から創りなおすという凝りようだ。1年近い準備を行い,大学内外の研究者,ライブラリアン,キュレーター,デザイナーがチームとなってひとつの展示を創りあげるのだという。

Bancroft Library,中は美術館の一室のようだった。
もうひとつ,「これはいい!」と思ったのが,図書館の資料を駆使して優れた論文を書いた学生に図書館が与える賞(library prize)の存在だ。館内の目立つスペースに,受賞者の顔写真,指導教員の名前等が掲示され,閲覧室のなかに,歴代の受賞者の紹介パネルと彼ら,彼女らの図書館に対する感想が掲げられている。毎日これを見ていたら,「私もチャレンジしたい」と思う学生が出てくるだろう。

最新年度の図書館賞の論文のタイトルは「ボンヌ・オ・リュクサンブールの祈祷書フォリオ331Rにみる中世女性の精神性とキリストの傷」(←訳間違えているかも・・・)。本格的だ。

図書館賞受賞者の紹介展示。
第4に,アメリカの大学ではライブラリアンという職業が,複数領域での高度な専門性をもつ職業として確立していることがよく分かった。同僚たちが今回調査に行った他の研究大学では,博士号を持ち,研究者としての著作もあるライブラリアンが少なくないらしい。バージニアさんは,アメリカの大学の地域研究系ライブラリアンには"library science,subject,language"の3つの専門性が不可欠で,大学院教育が欠かせない,と強調していた。

ライブラリアンは,教員と提携して,学生指導にも関わっているようだ。上記図書館賞受賞作品のなかには,教員とライブラリアンの合同授業のなかからうまれた論文もあった。またライブラリアンは,新任の教員が着任すると,研究・授業の両面で必要となる資料について意見交換をするという。

後日,スタンフォードで在外研究中の同僚と一緒に再び東アジア図書館を探検したときに,図書館のあちこちに,ガラスの壁で仕切られた小ぶりのオフィスがあることに気がついた。同僚と「これ,研究者のオフィスだよね」と話していたのだが,あとで,あれはライブラリアンのオフィスであろうことに気がついた。さほど広くはない部屋だけれど,プロフェッショナルの仕事場にふさわしいスペースと集中できる環境が整えられている。内側から図書館の様子もよく見える,工夫されたつくりだ。

というわけで,UCバークレーの図書館は,自分から身を乗り出して利用者にメッセージを発し,「私たちにはこれだけの価値があるのだから,もっと積極的に活用しろ」と働きかけてくる饒舌な図書館だ。それは,寄付金を強く必要とするアメリカの大学の事情や,発信と主張を重んじる社会風土の表れでもあり,日本の図書館にはそれとはまた違う文脈や長所があると思う。

でもこの図書館の「人がたくさん集まってくる感じ」「本が生きている感じ」と,日本の図書館の細やかさ・丁寧さを組み合わせることができたら素敵だろうなぁ。

バージニアさんの説明を聞き,同僚ライブラリアンと感想や意見を話しながら歩き回った一日はあっという間に過ぎてしまった。最後にバージニアさんに,「すごい図書館で,驚きました」という印象を話したら,「図書館をよくするために研究者にできることは本当に多いのです。」「あなたたち研究者は,ライブラリアンたちと図書館について緊密に意見交換をしてくださいね」とハッパをかけられた。

そうだ,私たちユーザーもまた,本が生きている図書館をつくっていく上で大きな役割を担っているのだ。




2013年10月18日金曜日

バークレー到着:"visiting sholarになる"

強烈な日射しのもと,柔らかな緑の芝生に寝転ぶ学生たちをよけながら,白亜の宮殿風のDoe Libraryの建物に向かって坂を降りていくと,サンフランシスコ湾が目の前に迫り出してくる。穏やかに光る海の上に,ゴールデンゲートブリッジが姿をみせている。

そのあまりに絵葉書的な美しさに,現実感を失って,しばし立ちつくしてしまう。私は本当にバークレーに来たのだろうか・・・・?

Doe LibraryとUCバークレーの象徴・Sather Tower

カリフォルニア大学バークレー校(UC Berkeley)での在外研究を始めて2週間がたった。連邦政府の閉鎖,サンフランシスコ地域の大動脈・BARTのスト予告と,周囲では様々なできごとが起きているが,多くの方からの力添えをいただいて,今のところ順調に生活を立ち上げつつある。特に住まいが早々と決まったこと,そのアパートが,代々UCバークレーに通う日本人VS(visiting scholar)が住んできた部屋で,いたって便利な快適な住まいであることが,不慣れなアメリカでの生活を順調に開始できた最大の鍵だったと思う。

半年間受け入れていただいた研究所も,アットホームな雰囲気だ。イタリア,ベルギー,ブラジル,トルコ,日本と世界各国から集まってきたオフィスメイトの存在も心強い。

半年間お世話になる研究所。木造で,大きな家のようなつくり。

けれども,ここバークレイでの「研究生活」が,まだ自分のなかでどうもうまく立ち上がってこない。憧れの大学に来られて張り切ってはいるのだけれど,いざVS生活を始めてみると,「台湾をフィールドとする私がアメリカで研究生活を送ることの意義」が,うまくつかめないのだ。

思えば,台湾での研究生活は,単純明快なものだった。予め決めたトピックについて調査を進めること,次の5年へとつながる新しいテーマを見つけること。達成できるかどうかは別として,そんな明確な目標があった。研究が思うように進まなくても,バスの車内風景を観察したり,友人とおしゃべりするなかで,私のなかの"台湾の皮膚感覚"が15年ぶりに更新されていくことが嬉しかった。

それに比べると,これからの半年は,時間が短く,選択肢が多い分,軸を決めるのが難しい。インプットを中心とするのか,アウトプットに時間を使うか。台湾についての研究を進めることと,成果にはつながらなくても視野を広げるために時間を使うことの,どちらを優先するべきなのか。半年という時間の短さを意識するほどに,何に手をつけてみても「今これをしていていいのだろうか」と気が散ってしまう・・・。

そんな日々が続いたあとで,VSの先達たちに体験談を聞いてみた。皆さん,自分の経験に基づいて的確な助言をくださったが,「あれこれ目標を立てて中途半端に終わるより,『これはやれた』と思えることを1つやれるように努力したほうがいい」という趣旨のアドバイスしてくれた方が複数いた。私の滞在を受け入れてくださったClair先生からは,「バークレーというこの場所でしかできないことを最優先しなさい」という助言をいただいた。

こういった言葉が心に響くのは,私のなかに強く反応するものがあるからだ。というわけで,これから半年間の私の目標は,「1つだけでいいから,バークレーでしかできないことをやり遂げること」に決定。やはり台湾で追いかけたテーマにつながるインタビューを1つでも多くできるよう,ここベイエリアでも頑張ってみよう。

とはいえ,「広く浅く」の魅力も捨てがたい。今週月曜日には,滞在先の研究所で社会経済学の大御所Neil Fligstein教授のランチセミナーがあった。美味しいブリートとサラダをほおばりながら,10数人という少人数の聞き手とともに,憧れの学者の研究報告を聞けるというこの贅沢!理論家でもあるフリグスタイン教授が,これだけ著名になっても,小さなセミナーで実証的な分析の報告をすること,参加者の質問やコメントの仕方がストレートで,対等な立場からの議論提起であることに,刺激を受けた。

うーん,自分のフィールドから離れて,広く浅く耳学問を重ねることだって,バークレーでしかできないことなのだ。「中途半端に終わる」ことに取り組めるのも,VSの特権ではないだろうか?こう考えると,自分が何を優先するべきなのか,さらにいっそう分からなくなってくる。

ここにやって来る人たちは,VSとしての目標をもった日々を重ねるなかで,訪問研究者としての自覚を得ていくのだろう。私のバークレー生活は,まずは「VSになる」べく,生活の指針を見定めることから始まるようだ。

キャンパス西門を入ると巨大なアメリカ杉の茂みがある