2012年8月24日金曜日

翻訳,ばんざい!:台北でオースティンを読む


ジェーン・オースティンの小説のとりこになってしまった。太平洋そごう忠孝店のジュンク堂で買った『ノーザンガーアビー』『高慢と偏見 上下』『エマ 上下』『マンスフィールド・パーク』と日本から差し入れてもらった『分別と多感』を読み終えてしまったので,残る長編小説は『説得』だけになってしまった。この本がジュンク堂の棚にあるかどうかを確かめる時には,思わず胸がドキドキした。あった,あった~。すばらしい。

ジュンク堂・金石堂@そごう。文庫,新書の品揃えが充実している。


オースティンの作品を読むのはこれが初めてではない。そもそも,私が世界でいちばん好きな小説家・夏目漱石がオースティンの大ファンなのだからして,彼女の作品がおもしろくないはずはない。小説の好みがあう友人たちのなかにも「オースティンが好きだ」という人が何人もいる。私は英文学者の新井潤美さんの大ファンなのだが,新井さんの出発点もまた少女時代に読みふけったオースティンにあるという。オースティンの小説を読む前に,新井さんの『自負と偏見のイギリス文化:J・オースティンの世界』(岩波新書 2008年)を読んでしまうという本末転倒?なこともした。

だが,実は,これまで『高慢(自負)と偏見』には二度チャレンジして,二度とも途中で飽きてやめてしまった。いちばん人気のある『高慢と偏見』でこうなのだから,他の作品はもっと合わないに違いない。どうもオースティンとはウマが合わないな。そもそもどうしてみんな,こんなもったいぶった会話がえんえんと続く小説を面白いと思うのかな,と首をひねっていた。

なのに,なぜ今頃になってオースティン作品のおもしろさに目覚めたのだろう?

小説は,ページを広げたとたんに今いる「ここ」から別の世界に連れて行ってくれる自由の翼だ。でもその翼が読み手をどこへ連れて行ってくれるか,そもそもどこへ連れて行ってくれる本に身を投じるかは,その日その時の気分によって,また読む側の目の前の現実との折り合いの具合によって随分と違う。期間限定での台湾暮らしのなかで生まれた新しい好奇心と,異国に身を置くよるべなさが,19世紀初頭のイギリスのジェントリー家庭の結婚話に再度,挑戦してみようという気持ちを後押ししてくれたのかもしれない。

もうひとつ,遅まきながらようやくオースティンの魅力に出会えた大きな理由は,ちくま文庫でオースティンの長編6冊を訳出した中野康司氏のみずみずしい翻訳文体のおかげである。挫折した二冊の訳者は,富田彬氏(岩波文庫)と中野好夫氏(新潮文庫)。この新訳のほうが断然読みやすく,作品のかなめである会話に躍動感がある。オースティンの主人公たち(orその周りの女性たち)は,恋に身を焦がしたり,相手の経済状況を厳しく値踏みして結婚の損得を計算したりする若い女性たちだ。そしてその周りには,みっともないふるまいをする家族,素っ頓狂な親戚,打算をもって近づいてくる女友達,軽薄な美青年といった濃厚なキャラクターが現われてさまざまな喜劇を展開する。その活劇的な楽しさと,その底にある作者の辛辣な人間観察を味わううえで,この新訳の読みやすさはとてもマッチしている。

10年でオースティン長編6篇の個人全訳をなさった中野康司さん,すばらしい!


聡明で鼻っ柱が強くて機知に富んだエリザベス(『高慢と偏見』),世間知らずの空想家だけれども,純真な心の持ち主のキャサリン(『ノーサンガー・アビー』)。『エマ』の高慢な主人公や『マンスフィールドパーク』の引っ込み思案なファニーも,読み手とすぐに打ち解けるタイプの主人公ではないけれども,作品のなかでいろんなできごとを一緒に体験するうちに大切な友人のような存在になってくる。キャラクターの性格の一貫性や自然なストーリー運びに細心の注意を払った現代小説を読み慣れていると,最後に話が一気に展開して女主人公が幸せな結婚をすることになる展開や,主人公の性格のやや唐突な変化に,少々驚かされるかもしれない。でも,主人公といっしょに泣いたり笑ったりできる素朴な「物語の力」の強さという点で,オースティンの小説には本を読む喜びの原点のようなものがある。

真夏の台北でイギリスの田園風景をむりやり想像してみる@中央研究院「生態観察池」

ここだけ見ればダーシーのペンバリー屋敷のよう?


オースティンが「愚かな人」を徹底して笑いものにする辛辣な観察家であることは,彼女の小説を少しでも分かることだが,登場人物に託して,作者が男性に向けて放つ言葉も,なかなか手厳しい。

   「自分たちの物語をつくる点で,男性は女性より断然有利だったし,教育程度も男性のほうが
    はるかに高かったし,ペンを握ってきたのもほとんどが男性ですもの。・・・・本なんて何の証
    明にもなりませんわ」(『説得』p.388)

   「ほらごらんなさい!女性には知性なんて必要ないと,男性は思っているのよ。男性はみん
    な・・・男性の五感を魅了して,でも男性の意見には黙って従う,そういう女性が好きなのよ。」
    (『エマ』上巻p.99)

また,当時流行していたゴシック小説への皮肉たっぷりのパロディに満ちた,『ノーサンガー・アビー』のような小説を読むと,作家としてのオースティンの自負と気概と創造性に心打たれる。遅まきながら,中野新訳と出会ってようやく,なぜこんなに多くの人たちがオースティンに魅せられてきたのかがよく分かった。


どの小説にも蝶のような女性が出てくる @木柵動物園昆虫館


とはいえ,岩波版・新潮版の格調高い文章になじんできた読者たちには,中野新訳のくだけた文体に違和感があるようだ。ネットでも,「はじめてオースティンの面白さにめざめた」という意見がある一方で,「物語の設定を考えると,敬語の使い方に問題がある」「文体に品がない」という批判も散見される。そして「やはり河出文庫版の阿部知二訳がいい」「いや,中野好夫訳だろう」「いや,中野康司訳の読みやすさはすばらしい」といった熱い議論が闘わされている。私自身は,新井潤美さんが論じているように(上掲書第1章),オースティンは決して「お上品」ではなく,「奢侈と堕落のリージェンシー」の時代を生きたどぎついユーモアの作家だったというのだから,中野康司訳の闊達さがマッチすると思う。

それにしても,Pride and Prejudiceだけでも7つの翻訳が出ていて,その好みを熱く語りあえるのだから,これってなんと贅沢なことか!翻訳大国・日本ならではの楽しみだと思う。

さて,昨日,最後の一冊『説得』をついに読み終えてしまった。寂しくなるなあ,と思いながら,アンの幸せな結婚を見届けたが,そうだ,今度は別の訳者の版でもう一度読んでみればいいだけなのだ。あの蓮っ葉なリディア(『高慢と偏見』)やKYなマリアン(『分別と多感』)は,阿部知二訳や中野好夫訳ではどんな言葉づかいでしゃべっているのかな?楽しみだ。明日,さっそくジュンク堂に行ってみよう。


2012年8月6日月曜日

続・迪化街での出会い:「よそ者,若者,ばか者」篇

迪化街は歴史的な建築物の街であるとともに,生きた商売の街でもある。しかし,店の大部分は乾物や食料品の卸売り商だ。「物珍しくありがたいけれども,古くさい街」とでもいうべきか。私もこの数年はすっかり足が遠のいていた。

「小藝埕」と「民藝埕」は,そんな迪化街に新しい風を吹き込む商業スペースだ。ここには,大稲埕の歴史を受け継ぎつつ,この街に新しい台湾文化の息吹を吹き込もうという理念を共有する若い起業家たちの店が集まっている。

「民藝埕」の内部。うなぎの寝床式の伝統的な商家のつくり。

迪化街のランドマーク「ワトソン薬局」をリノベーションした華麗な建物には,4つのショップの連合体「小藝埕」が入っている。小さいながらも台湾の歴史・文芸関係の書籍が充実した書店「1920」(1F),台湾らしいモチーフや色づかいの布製品がそろった「印花楽」(1F),レトロなコーヒーハウスの「爐鍋珈琲」(2F),イベントスペースの「思劇場」(3F)である。



「小藝埕」が入っている「ワトソン薬房」ビル。



本屋「1920」の看板。この店名には象徴的な意味がこめられている(同店facebookのページより)

ここから歩いて1分弱の「民藝埕」は,台南幫の創設者・侯雨利が店を構えていたという由緒ある建物にある。陶磁器を扱う二店舗(「亞洲民藝」と「台客藍」)のほか,二階には茶芸館(「南街得意」)がある。この二つのスペースに入居している店の顔ぶれは,大稲埕の歴史資産ともいえる「布・茶・漢方・演劇・建築」の商いを強く意識したものだという。

民藝埕の入り口
案内してくれた友人と,「民藝埕」2Fの茶芸館に入ったら,運良く,この5つの店の生みの親でもある周奕成さんが居合わせて,お茶をのみながら話を聞くことができた。彼にはその後,さらに二度ほど話を聞いた。周さんが語ってくれた「小藝埕」「民藝埕」の創業の経緯と,彼の経営ビジョンを,以下に紹介しよう。(周さんが発表した文章 も参考にした)

周さんは,当初,出版を志して「世代文化」という会社を興したのだという。しかし,結局出版業には展開せず,台湾の歴史との接点をもち,かつクリエイティブな力に富む小型店舗の創業をプロデュースすることで,ここ大稲埕から,新しい社会文化運動を発信することをめざすこととなった。

大稲埕を創業の地に選んだのは,ここが,日本統治下の台湾にあって,新たな社会運動と文芸活動の中心地であったからであり,台湾人の「本土アイデンティティ」の揺りかごとなった街でもあるからだ,という。日本人植民者が多く住んだ「城内」地区に対して,大稲埕は「城外」にあたり,「本島人の街」でもあった。蒋渭水が台湾文化協会を設立したのも,「本島人」の企業家らや芸術家らが集まり住んだのも,ここ大稲埕であった。1947年に起きた悲劇・二二八事件の発端となった事件がこの地で起きたのも,決して偶然ではなかった。新しい社会文化運動をおこすなら,台湾の本土アイデンティティの形成と深く結びついたこの街から始めたかった,と周さんは語る。


周さんに話を聞いた「南街得意」は実に居心地のいい茶芸館だった。


 周さんがめざすのは,この町の歴史的な建物を活用しつつ,創業という営みを通じて,台湾の文化・価値を発信できるような「公共空間」を創り出すことだ。「公共空間」は「非営利空間」でなければいならないと考える人が多いけれども,それは正しくない。パリのカフェがそうであるように,国家や巨大資本から独立した人々に開かれた商業空間は,時に社会的な価値を作り出す場となる。台湾では多くの歴史的な建物が,閑古鳥のなく「何とかセンター」になったり,部外者が立ち入れないNGOのオフィススペースになったりして,非・公共空間となってしまっている。むしろ,長続きするかたちで歴史的な建物の価値を活用し,多くの人に開かれた創造力のある場にしていくために,「微型創業(マイクロ創業)」の力を結集したい。

周さんによると,迪化街は卸売業者が多い地域なので,貸店舗の区画面積が大きく,小さな起業家には出店が難しい地域なのだそうだ。周さんの会社は,店舗スペースを借り上げたうえで,これを小さな区画に分割して適切な賃料を設定し,それをまかなうに足る月々の売上額の目安を算出したうえで,出店希望者を募っている。また,多くの場合,周さんの会社がテナントへの出資もしてパートナーともなる。この地域の文化と歴史に深い関心を持ち,クリエイターとしての力量に富み,かつ,事業を成り立たせていくだけの経営の才覚も持ち合わせた起業家と出会うのは決して容易なことではないという。

それでも,この二つの商業スペースを訪れれば,周さんが,迪化街の伝統との接点を新しいかたちで提示できる優れた起業家の発掘に成功しつつあることを感じることができる。


琥珀色に輝く「東方美人茶」@「南街得意」
お茶請けも素晴らしく美味!

周さんの「インキュベーター」としての役割は,アーティストたちの創業支援にとどまらない。「マイクロ創業(微型創業)」の「上流部門」に位置するクリエイターたちも彼の支援対象だ。「民藝埕」の「舞台裏」にあたる2F-3Fが,その「最上流部門」の拠点となっている。

2Fにはいくつかの会議スペースがあって,ここではもっか,大稲埕のエリアの活性化に向けたイベントやタウン誌作りの計画が進んでいる。

3Fには,共同のオフィススペースがあり,舞台美術家,作家,グラフィックデザイナーといった人たちが机を並べている。賃料は無料。その代わり,月にひとつ,「小藝埕」「民藝埕」のためにちょっとした頼まれ仕事をする,という条件なのだそうだ。私の友人が仕事場を構えているのもこのスペースの一角である。

ここに集まる人たちは,自分のビジネスを通じて迪化街から新しいものを発信しようとしているだけではなく,街ぐるみのイベントや,タウン誌の発行等を企画して,大稲埕という地域を台湾中に向けて,さらには台湾を訪れる観光客に向けてアピールしようと様々な計画を練っている。10月にはなにやら面白いイベントも企画しているそうだ。


周さんのめざす運動の「最上流」にあたるクリエイターたちのオフィス。


「民藝埕」でのミーティングで語る周さん。
実は,周奕成さんは,台湾の政治の世界ではよく知られた人物であった。その話が出ると「もうよそうよ」とはにかむが,周さんは,台湾の民主化の歴史に重要な一頁を刻むこととなった1990年の学生運動のリーダーであった。また,陳水扁の政権成立へといたる1990年代後半の民進党の歩みに重要な役割を果たした人物でもあった。しかし陳政権成立後は政権に対して批判者となり,2007年には新党「第三社会党」を組織して選挙を戦ったこともあるという。

周さんが政治の道から起業家へと転身した経緯については,聞いていない。しかし,周さんの話を聞いていると,この人は「自分の活躍の舞台の大きさ」なんていうことにはまったく関心をもたない本物の理想家なのだなぁと,じんわり感動する。彼の静かな語り口からは「台湾のために新しいものを創り出したい」,「理念を共有する人の小さな輪を少しずつ広げることで,社会を変えていきたい」という思いが伝わってくる。

最後に,周さんに「大稲埕出身なんですか?」と聞いてみた。予想通り,「違う」という答えだった。

日本でも,地域をおもしろくするのは「よそ者,若者,ばか者」だという。地域の魅力を新しく見つけるのは,往々にして,外からやってきた若者だ。そしてリスクをとり,時に古くから住む地元の人たちとのあつれきをいとわず,新しいことを始める「ばか者」こそが,その地域をおもしろくしていくものだともいう。

迪化街をおもしろくするのもやはり,こんな素敵な「よそ者,若者,ばか者」たちなのだろう。

2012年7月26日木曜日

迪化街での出会い:そぞろ歩き篇

社会学研究所の友人が,迪化街にもうひとつの仕事場を構えたという。仕事帰りに彼のオフィスに遊びにいき,夕暮れ時の迪化街を案内してもらって,この町の美しさに胸をうたれた。晴れた昼間の街並みも眺めたいと思い,週末に,写真をとりながらゆっくり歩いてみた。

威風堂々とした迪化街の街並み

台北は,西から東に向かって発展してきた町だ。観光やショッピングの最前線も,町の西側から忠孝東路・敦化南北路周辺の「東区」へ,さらには台北101周辺の「信義エリア」へと,東に向かって伸びてきた。

しかし,台北の町の本当のおもしろさは,町の西側にこそあると思う。なかでも迪化街を中心とする大稲埕エリアは,清朝時代から日本統治期を通じて台湾の商業の中心地として栄え,戦後は布問屋の集積地として繁栄したエリアで,日本・台湾・西洋の色合いが複雑に交錯し,レトロな美しい建築と懐かしい生活のにおいが入り交じった大変魅力的な街だ。ここを歩かずして台北の町の魅力は語れまい!

大稲埕歩きのメインイベントは,乾物屋の立ち並ぶ迪化街に沿っての散策である。通りに漂う漢方薬の香りをかぎながら店先に並ぶ茶葉やからすみを眺めるだけでも楽しいのだが,ここでの楽しみは建物見物にある。凝ったファサード,華麗なバロック式装飾,より新しい時代のシンプルな建物の輪郭といった,異なる時代から受け継がれてきた建築様式を見比べながら町を歩くのは実に楽しい。



いずれも現役の商店。
立派なファサード。屋号,家紋といったものは日本統治期に台湾に持ち込まれたという

一階は雨や日射しをよけて歩けるアーケード(「亭仔脚」)になっている


迪化街と直交する「歸綵街」にも乾物屋や食品店が集まっているが,華麗な建物が並ぶ迪化街とは違ってこちらはぐっとくだけた雰囲気だ。

大型扇風機でにんにくを乾かしていた(歸綵街)

迪化街の小さなランドマーク「霞海城隍廟」も必見だ。ここは縁結びで有名なお廟で,夕方や週末には若い男女が熱心にお参りしている姿が見られる。日本の雑誌でも紹介されたらしく,熱心に拝んでいる日本人女性のグループもいた。

縁結びで有名な月下老人がまつられている。


「2011年2月に日本演歌女王・小林幸子が縁結び祈願に来訪」「同年8月に8歳年下の熟男と結婚!」という新聞記事が。


「霞海城隍廟」の隣の「永楽市場」は台湾最大の布専業市場。小さな布問屋や仕立屋がぎっしりと軒を並べており,さながら迷宮のよう。

永楽市場は布のワンダーランド!
 
さて,迪化街には,ゆっくりくつろげる喫茶店やしゃれたお土産を買える場所が少ないのが,観光客の悩みの種だった。しかし,歩き疲れた迷える旅人にぴったりの新しいスポットができた。友人が連れて行ってくれた「永楽市場」の向かいにある「小藝埕」と,「霞海城隍廟」の三軒隣にある「民藝埕」だ。この二つのスペースには,たいへん魅力的な布製品・工芸品・本の小さなお店や,演劇スペース,喫茶店等が入っている。私はいっぺんでこの二つの空間のファンになってしまった。一歩足を踏み入れただけで,お店を営む人の情熱が伝わってくる。それでいて,決して押しつけがましいところのない,ゆったりとした雰囲気の気持ちのいい店が集まっている。

友人の研究スペースがあるのは,なんとこの「民藝埕」の3階である。そして,この「民藝埕」のなかを案内してもらうなかで,私はここを舞台に進行中のおもしろい冒険の舵取りをしている起業家兼社会運動家と出会うことになった。

この出会いについては次回の投稿で書くことにしたい。


友人の研究スペース 民藝研@民藝埕

くつろげる空間でもあり,集中できる空間でもある(@民藝研)

鰻の寝床状の細長い建物のなかでは,「外」と「室内」が緩やかにつながっている。@民藝研。

というわけで,この号は次回につづきます!

2012年7月18日水曜日

緑の空中散歩:猫空ゴンドラ初体験

先日,台北の南の外れにある政治大学に行ったとき,キャンパスから見上げた山の稜線に沿って,たくさんの小さな箱形車両が真っ青な空に吸い込まれるようにすいすいと上っていくのが見えた。「猫空ロープウェイ」だ。日射しを浴びて輝くその姿を見ていたら,矢も盾もたまらず乗りたくなった。


気候が崩れるとすぐに運休になるので,ぜひ天気の安定した日に


2007年に完成した猫空纜車は,台北MRTシステムの一部だ。山麓の「動物園」駅と,山頂の「猫空」駅を約20分で結んでいる。猫空はもともと観光茶園で有名な地区で,台北市内からの近さもあって,週末になると食事とお茶を楽しもうとする人々が押し寄せ,大渋滞が起きることで知られていた。その猫空に,ロープウェイで行けるようになったのだ。

ゴンドラが開通して以来,台湾の友人たちに「猫空纜車に乗った?」と聞かれたことは数知れず。しかし,ここ数年は出張でしか台北に来ていなかったため,まだ一度も乗ったことがなかった。それどころか,ゴンドラの発着駅に隣接した東アジア有数の動物園・台北市立木柵動物園にもまだ一度も足を踏み入れたことがない。そこで,先週末の晴れた休日に,まとめて二つの初体験をしてみることにした。


ゴンドラの車両には「一般車廂」と,床がガラスでできている「水晶車廂」の二種類がある。せっかくの機会なので,今回は人気の「水晶ゴンドラ」をネットで予約した。予約表を打ち出して受付に持っていき,チケットを購入して乗車する仕組みだ。週末はやはり混むようで(*ネット予約する分には費用がかからないので,ひとまず席を押えてしまう人も多いのだろう),金曜の夜に土曜の席を予約しようとしたらすでにかなり埋まっていた。



「故障多発につき (-_-;)」(Wikipedia「猫空ロープウェイ」)毎週月曜はメンテ日。

「木柵動物園」駅を出ると,ゴンドラは山裾に沿って高度を上げていく。最初の停車駅は「動物園内駅」だが,けっこうな距離を移動したように感じるのだから,木柵動物園のスケールの大きさが分かる。

動物園内駅を出ると,ケーブルカーは一気に高度を上げていく。このあたりから,足元が透明な「水晶ゴンドラ」の魅力が存分に味わえる。

足元に広がる緑のじゅうたん




ウォンカーワイの映画『欲望の翼』の最後の幻想的な緑のシーンを思い出す

小さな箱に閉じ込められて高いところに吊り上げられていく感覚はなかなかスリリング。けれども,真下に見下ろす山の緑の美しさには思わず息を呑んだ。目を凝らすと,緑の濃さのなかにも,黄みがかった柔らかい緑から,青みがかった深い緑まで,様々な色合いが広がっていることがよく分かる。谷に沿って,不気味なシダ類が大きな葉っぱを伸ばしているしているとろもあれば,モコモコとした柔らかそうな枝がブロッコリーのように生い茂っている一帯もある。微妙な起伏に沿って,緑のグラデーションが足元に広がっていく。


動物園内駅を出たあたりから急勾配になる
ゴンドラは深い谷を越え,「方向転換駅」を経由し,指南宮駅を通って,終点の猫空駅へと向かった。足元に茶畑が見えてくるともう終点が近い。


これが水晶ゴンドラ@猫空駅


さて,勇んで降り立った猫空駅だが,目を刺すような直射日光が照りつけており,気温はおそらく35度を越えていて,とても歩き回る気にならない。今日の猫空行きはロープウェイを楽しむことが目的と割り切って,駅近くの茶芸館で昼食を食べ,そそくさと下りのケーブルカーに乗った。

下りの「方向転換駅」



帰りは終点の一つ手前の「木柵動物園内」駅で下車して,木柵動物園を見物した。ここも暑く,休日の人混みのなかで大汗をかいたが,丘陵をうまく活かしてつくった園内は緑が豊かで気持ちがよかった。コアラ,パンダといった定番の人気動物も楽しめたが,個人的には,台湾の固有種を紹介する「台湾動物区」や蝶の温室がみごとな「昆虫館」といったマニアックな展示が,人も少なく,ゆっくり楽しめた。

台湾は蝶王国。真っ黒になったバナナに群がる蝶たち。

中国から台湾に送られたパンダ。定番のお昼寝姿。
クロネコヤマトがパンダのために花蓮や台東からおいしい竹を運んでいるそう

動物園なのに,なぜか植物園のような「シダコーナー」があった
帰りは,動物園のすぐ隣の駅からMRT木柵線に乗れば,15分ほどで市内の中心に戻れる。

うーん,やるなぁ,台北MRT。地下鉄を整備して台北に交通革命をもたらしただけではなく,近郊の観光地・猫空にロープウェイを建設し,それを動物園という古くからの資源ともうまく結びつけて,人々にこんな新しい休日の楽しみを提供していたとは。

MRTができるまでは,淡水や猫空といった近郊の観光地に行くにも,混雑したバスに長時間揺られていくか,誰かのバイクの後ろに乗せてもらうしかなく,帰りの渋滞や天気を気にしなければならない不便さがあった。日本人どうしで,「台北って娯楽砂漠だよねぇ」「カラオケボックスが流行るわけだわなー」と台北っ子に大いに同情したものだった。

しかしいつのまにか台北には,こんな手軽で素敵な楽しみが出現していたのだ。そのことを嬉しくも,羨ましくも思った一日だった。


動物園から忠孝復興駅までは15分。忠孝復興交差点のGalaxyIIIの広告,めだってます

2012年6月30日土曜日

本当に,住みやすくなった:台北の交通革命

15年ぶりの台北生活も今日でちょうど3ヶ月。到着直後のワクワク・ドキドキした気持ちは薄らいできたが,観光ビザの上限を超える日数をこの町で過ごしたことで,旅人が触れる表の「顔」だけではない,生活を支える町の骨組みの部分も含めて,台北の今のすがたが少しずつ見えたきたように思う。


この間,私と同じように10数年ぶりに台北で暮すことになった日本人と話をする機会が幾度かあったが,そのたびに「台北は本当に暮しやすくなりましたよね!」という話で意気投合した。そう,台北は「本当に」暮しやすくなったのだ。


緑陰が恋しい季節になった。




15年前に台北に住んでいた時にも,よく台湾の人たちに「台北は暮しやすい町でしょう?」と言われたものだった。私は「ええ,そうですね」と相づちをうちつつ,心の中では「暮しやすいけれど,暮しにくい」とつぶやいたものだった。友人の親切と見知らぬ他人の善意に恵まれて,台北での生活はおおむね快適だった。
けれども,生活をする上では様々な不満とストレスがあった。その最大のストレスの源は交通インフラの悪さにあったと思う。

なぜバスの運転手は,子どもを連れた母親がまだ乗りかけているのに,お年寄りが車道を歩いているのに,平気で発車するのか?なぜ人々は,バスが到着するといっせいに走り出し,人を押しのけて乗車口に殺到するのか?なぜタクシーの運転手は強引な割り込みを繰り返し,私が外国人だと分かると遠回りをしたり,夜間料金ボタンを押したりするのか? バスやタクシーに乗るたびに不愉快な思いをし,好きな人の見たくない一面をむりやり見せられるような苦痛を味わうことが多かった。

あとから振り返れば,1990年代半ばの台北は,まさしく「交通暗黒期」と呼ばれる最も悲惨な状況のさなかにあったのだと思う。交通量は右肩上がりに増え,MRTの工事のために幹線道路は渋滞し,ハンドルを握る人々は殺気立っていた。交通事故を目にすることも多かった。


MRT忠孝復興駅にて。


15年を経て,台北の交通事情は革命的に改善され,今や東京よりも便利になった。最大の変化はいうまでもなくMRTの開通だ。地下鉄と地上交通システムの組み合わせによって,元からコンパクトで機能的な台北の町が効率的なネットワークとして組織化されたことによって,利便性が飛躍的に向上した。

思うに,MRTの開通は,1970年代以降の急速な経済成長のなかで蕾を膨らませつつあった台北の都市文化の開花を抑えつけていた最後のボトルネックを解き放ったのだろう。この交通革命は,驚くべき勢いで人々の行動パターンを変え,消費生活を変えていくこととなったのだ。 

毎日の通勤にMRTを使うなかで驚かされるのは,台北市民のMRTの乗車マナーの良さだ。整列乗車はお手のもの。駆け込み乗車をする人も少ない。席の譲り合いという点では,明らかに東京よりモラルが高い。お年寄りや妊婦が乗車してくると,譲り合いの輪のようなものが生まれて,席を必要とする人がちゃんと座れるように皆が気を回し合う。15年前のバスの中では見かけなかった光景だが,いつ渋滞に巻き込まれるか分からないバスとは違い,MRTでは「到着駅まであと何分」と予測できるので,安心して席を譲れる心の余裕が生まれたのだと思う。

(でも,バスの乗車習慣の名残からか,乗車すると入り口で立ち止まって中につめてくれないのは困るなぁ。降車客の多い駅では,ドア付近の乗客は踏ん張らないで,いったんホームに降りたほうがありがたいんだけれどなぁ。)


最新のMRT路線図。まだまだ発展中,秋には新たな開通・延伸が予定されている ☆


台北の車体広告は総じてカラフル。最近は「まるごとGalaxy III」地下鉄をみかけます

都市交通というのはネットワークだからして,その一部で劇的な変化が起きると,それがあちこちに波及して全体が急激に変わっていく。

まず,MRTと競合することとなったバスの世界が変わった。車体が上下に跳ねる乗り心地の悪さは相変わらずだが,また日本ほどの安全運転は期待できないが,運転手のマナーがぐんと向上した。マイクで次の停車場を告げ,降車客には「謝謝」と言う。無理な幅寄せをしたり,バス停が近づくと走っている途中でドアを開けてしまうような運転手も減った。乗客のほうも,MRTの影響からなのか,運転手のマナーが変わったことの効果なのか,以前のように乗車口に向かってむやみに走ることをせず,周りに配慮しながら乗車するようになった。バスにGPSが付いて,一部のバス停では電光掲示板に「あと何分で○○番のバスが到着します」という案内が流れるようになったのにも感激。スマホユーザーなら,アプリを使ってバス停への到着時間を調べることができる。

タクシーも変わった。もう,遠回りや深夜料金ボタンを気にする必要もほとんどない。かつては日本からお客さんが来ても,一人でバスやタクシーに乗せるのは不安なので,ホテルに迎えに行き,ホテルまで送り届けていた。今では,安心して一人で行動してもらえる。



車体もきれいになり,運転手のマナーも向上した


交通革命は,消費文化の開花も引き起こした。毎日のように雨が降る台北で,泥はねをよけながら長時間バスを待ったり,送り迎えをしてくれるボーイフレンドのオートバイの後ろにまたがったりしなくてもよくなったことで,女性がおしゃれや化粧を楽しむようになった。MRTの開通とともに,地下街が誕生し,若者で賑わう店が集まるようになった。

交通インフラの改善が,人々の物質的な生活水準を引き上げるだけではなく,人々の行動にゆとりをもたらし,秩序と配慮のある空間を創り出し,それを共有する人たちのあいだに目にみえない連帯感と誇りを生み出すものであることを,私は15年ぶりに台北に住んでみてはじめて知った。都市のハードウェアはソフトを規定し,変えていく力をもっている。頭では分かっていても,実際に目にするとその力の大きさに驚かされる。

あの頃,「台湾の人は列に並ばない」「知り合いには親切でも,見知らぬ他人には不親切だ」と言っていた人たちに(白状すれば,あの頃は私もかなりそう思っていた・・・)今の台北のこの様子をぜひ見てもらいたい。

今の私は,「台北は住みやすいでしょ?」と尋ねられたら,「はい」と心の底から答えることができる。台北は,本当に住みやすくなった!


MRT南港駅の構内アート。人気絵本画家ジミーの「不気味かわいい」作品。


2012年6月16日土曜日

cafe philoのこと:政治,政治家,政治参加

一ヶ月ほど前のある晩,行きつけのコーヒーショップで,「鶏もも肉の香草焼き定食」を食べていたら,入り口から制服をきた女子高生たちがドヤドヤと入ってきて,地下のサロンスペースに降りていった。むむ!あの特徴的な深緑色のブラウスをきた女子高生たちは,台湾随一の名門高・台北一女の生徒たちに違いない。しかし,なにゆえ,夜の7時にこんなところに現われたのだろう?


cafe philoの入り口付近


慕哲珈琲(Cafe Philo)というこのコーヒーショップのオーナーは,野党・民主進歩党の鄭麗君・立法委員夫妻である。ある時,社会運動に深く関わっている友人と話をしていて,「よく行くコーヒーショップで,おもしろい文化イベントをやっている」という話をしたところ,その友人がオーナーと旧知の間柄であり,その店の経営にも間接的に関わっていることが判明した。それ以来,いっそう足繁くCafe Philoに通うようになった。


鄭麗君さんは,哲学の勉強のために留学したパリで,フランスのカフェ文化と出会い,人々が公共的な話題について語り合う場を台湾にもつくりたいという思いから,この店を開いたという。実際,この店には,台湾大学近辺の喫茶店にも共通する文学と哲学と政治の香りがある。壁にはグラムシやカミュの名言が記された大きな布が飾られ,レジの周りには,各種の文化,政治イベントのちらしが置かれている。



紹興北街・忠孝東路口からほど近い。

とはいっても,この店にとっつきにくい雰囲気はみじんもない。開放的なつくりの,居心地のいいカフェで,誰でものんびりくつろげる。客のほとんどは,近所のオフィスで働く人々や住人たちだ。
特徴があるのは,女子高生たちが降りていった地下のサロンスペースのほうだ。ここでは毎週金曜日に「哲学の金曜日」という哲学イベント(?!)が行われているほか,各種の討論会や新書発表会等の催しが頻繁に行われている。


星期五というのは金曜日のこと



そして今日からは,鄭麗君議員事務所が主催する連続座談会 「国会の大きな声,小さな声:けれどもあなたの声が足りない(國會大小聲:就缺你的聲音)」が始まり,その第一弾として,近年の台湾で大きな議論を呼んでいる義務教育の12年制をめぐる座談会が行われるのだという。パネル参加者は,鄭議員のほか,教育関係のNGOの役員たち,反・12年国民教育学生連盟のメンバーで建国國中(高校)の生徒の洪さん,台北一女の生徒の蔡さん。



店の前のポスター。いつも思うのだが台湾の各種イベントのポスターはよくできている。



国会議員を含む3人の大人と,2人の高校生が,教育改革について議論する!これはおもしろい,行くしかない! と勇み立ったのだが,そもそも今日ここで夕食をとることにしたのは,せっぱつまった仕事がまったく終わっていないからである。ここで2時間半も寄り道をしていいはずはない。その日はすごすごと引き上げた。

翌週のトピックは「独身公害?愛情公害?人生の選択と多元的なジェンダー」。これまたなんとしても聞きたいテーマだったが,仕事の泥沼がさらにグツグツ煮立っていたため,泣く泣くパス。

というわけで,三度目の正直が実現したのが,先週木曜日のことである。この日の討論テーマは「命は平等不平等? 動物の権利と動物保護を語る」。正直,私としては4回の討論会のなかでいちばん関心の薄いトピックだが,行ける時に行かないと機会を逃すと思い,参加した。ただ,事情により,2時間半のイベントのうち初めの1時間半しか参加することができなかった。見聞録としてははなはだ不十分なものだが,会場に身を置くことで感じたものは少なくなかった。

この日,集まったのは20-30人ほど。入場無料なのに,ケーキとキッシュ,コーヒーと紅茶がふんだんに用意してある。

4人のパネラー(真ん中は司会者,左端が鄭議員)。



パネラーは,鄭議員と動物虐待防止,野良犬・野良猫保護活動等をしているNGOのメンバーら。活動に関わるようになった経緯や,活動のなかで直面している問題,政治に望むこと等をめぐって議論が繰り広げられた。後からこの日の記録をフェースブックで見たが,私が退出した後にはフロアとの活発な意見交換が行われたようだ。このような小さな場で,おそらく集票にはほとんどつながらないであろう動物の権利というイシューをめぐり,「政治や行政にできること」について,政治家と社会運動家,一般市民が議論を繰り広げている光景には感じるところが多かった。

正直,今の台湾が直面する政治・社会問題の数々に比べて,動物の権利というテーマはどれほど重要なものなのかと懐疑的な気持ちで参加したのだが,真摯な使命感を持って活動をしている運動家たちの話は,胸に迫るものがあった。不要な動物実験,人間の都合で消費され捨てられる犬や猫,苦しくない安楽死をさせるのは費用がかさむため,全く安楽ではない「安楽死」をさせられる動物たち,虐待やネグレクトを受ける動物たちの悲惨な現実。当事者(当事犬猫?)が声をあげられない苦しみについて想像力を働かせ,人々の意識と行政や政治を変革しようと行動する姿に,敬意を覚えた。

また具体的な問題提起として,台湾の動物保護行政の主管組織が農業委員会畜牧処動物保護科であること,動物を経済資源として扱う畜牧処の下で,ごく限られた人数で動物保護行政を行っていること自体が大きな限界であることが指摘された。


報告のようす。

動物の権利について運動をしている人たちはみな,「人間の権利だって満足に守られていない世の中なのに,何が動物の権利だ」という嘲笑を受けるという。ともすれば,私も同じようなことを言いかねないと思う。

しかし,広く共有されていない問題についてこそ,直接話を聞き,実態を知ることで新しい視点を得ることができるものなのかもしれない。少なくとも私は,この座談会のあと,これまで脳天気な目で見ていた野良犬に対して複雑な思いと関心を抱くようになったし,中央研究院の動物実験センターの横を通るたびに,そのなかで何が行われているのか気になるようになった。


さて,連続座談会の最終回は「都市の記憶:再開発か忘却か? 都市再開発と文化資産の保存を語る」。実はこれは今の台北では大変にホットなトピックで,今回のブログでもこの座談会の様子を中心に「國會大小聲」のことを書くつもりだった。フェースブック上でこの会への参加を表明した人は,前々日の段階で200人強。
早くいって場所をとらなきゃ。でも,外国人である私が,現実を変革できる選挙権を持つ台湾の人々の場所を奪ってはいけないよなあ・・・でも盛り上がるだろうからやっぱり行きたいなぁ・・・と迷っていた。


団結をアピールする民進党議員たち(鄭議員のフェースブックページよりDL)。


が,残念ながらそんな迷いはひとまず不要になった。立法院での「添加物入りアメリカ産牛肉輸入解禁」問題で,民進党をはじめとする野党が立法院の議場を占拠すべく120時間動員をかけ,鄭議員も議場に泊まり込みをするため,cafe philoでの集まりも延期になってしまったのである。


ニュースを通じて泊まり込みの光景をみていると,なんだか大学生の合宿か学園祭のようだ。最終日には,とある民進党の議員が,同僚たち全員の寝姿を激撮したということで,その画像がメディアで公開されていた。鄭議員も,しっかり寝顔を撮られていた(-_-;)。

cafe philoで繰り広げられる密度の濃いコミュニケーションも,立法院での肉弾戦や議場への泊まり込みも,いずれも政治という怪物的な営みの切り離せない一面なのだろう。


夜の部(段宜康議員)。


昼の部 (鄭議員のフェースブックページより)。